つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

一票の格差是正は要らない

 今回の参院選挙でも、またまた一票の格差なるものが話題になりました。選挙前に総務省が発表したところによれば、選挙区で議員1人当たりの有権者数が最も多いのは東京都(254万余)で、最も少ないのは鳥取県(約50万人)とのこと。一票の格差は5.16倍あり、3年前の前回(約5.06倍)よりも0.1ポイント拡大したというのです。
 票の持つ価値の違いは、憲法第14条の「法の下の平等」に反するとしてこれまで各地で訴訟が提起されてきて、最高裁判所は、衆議院の場合で約3倍以上、参議院の場合では約6倍以上の差が生じた場合には、違憲ないしは違憲状態との判断をしています。今回の格差は5倍強であるので、一応最高裁判例をクリアしています。
 でも、小生はこの一票の格差とやらを見ると、いつも不思議でならないのです。単純に有権者数だけの基準で当選議員数を配分していいのかという疑問です。この方法を突き詰めていくと、人口が密集している都会の議員数が多くなり、過疎の地方から選出する議員は少なくなります。
 そうすれば、単純に考えて、都会の利益を追求する議員ばかり増えて、都会はますます行政の恩恵を被りますが、議員数の少ない地方はその恩恵がないため、相変わらず過疎に置かれてだんだん落ちぶれていくという構図になってしまいます。果たして、それでいいのでしょうか。
 小生は、やはり票の多少だけで議員数を割り振るのは間違いだと思います。いや、むしろ自然に効率やサービスが集中する都会からの議員は要らず、むしろ行政の手が必要な地方の声を代弁する議員を増やすべきだと思います。ですから有権者数など考慮せず、地域の面積割か、あるいは、各県一律などの方法で議員を配置したほうがいいのでは。
 日本はますます東京、首都圏の独り勝ちで、田舎は全然潤っていません。これはやはり一票の格差是正の厳格運営によって、都会選出議員が増えていることと無関係ではないと思うのです。米国の上院議員は、州の面積の大きさ、人口にかかわらず各州一律2人ずつです。この方が合理的であると小生は考えます。国土の均等発展を目指すには一票の格差是正は止めるべきでしょう。
 下の写真は、オアフ島巡りで東海岸に行った際、映画「ジュラシック・パーク」の舞台として使われたとされるクワロア牧場で撮ったもの。ここで昼食を取った後、寝転がったベンチに上に実を付けた椰子がありました。ホノルルなどの市街地では、安全性のためか、実はすべて取られたものが多かったので、実付きは新鮮でした。