つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

8月終戦特集は旧軍の悪追及で終わるな

 幸いなことに、夏風邪も大事に至らす、収拾に向かいました。激しい時は、真夜中のせき込みによって、何度か起こされます。今回も2、3日は毎夜1回程度起こされましたが、それほど激しいせき込みはなく、まあまあ大過なく終わったという感じです。
 今年も8月15日を迎えました。テレビで盛んに終戦特集、戦争関連番組を流していますが、もう戦後65年もたったのですね。1945年に20歳で徴兵検査を受けた最後の世代ももう85歳。男性の平均年齢をはるかに超えています。本当に戦争は遠くになりにけりです。
 小生は大学で国際関係論を教える中で、日本が明治以降いかに国際社会の中でふるまってきたかが指導のエセンスだと考え、この部分を特によく説明していますが、学生はもう第二次世界大戦さえかなり遠い昔の話という感じで切迫感がまるでありません。
 これはいいのか、悪いのか。65年も平和が続けば、人々がノー天気になることは間違いないでしょうね。左翼の言う「平和国家なのだから、軍備など持つ必要はない」という”論理”もすんなり受け入れられてしまうかも知れません。実は、平和を守っているのは、憲法9条でなく、日米安保に基づく米国の抑止力、それから自衛隊による最低限の軍備だという事実も「ナンセンスだ」と言われてしまうかも知れません。
 テレビのワイドショーを見ていると、左翼の論客が多く、国際政治への視点、軍事均衡の必要性など歯牙にもかけない感じが見受けられます。でも、そういう論理を展開する左翼は結局、選挙で3%以上の支持率を取れないところを見ると、国民は案外この辺のまっとうな理屈を熟知しているのかも知れません。
 毎年8月第一、第二週に、テレビは戦争の残酷さ、虚しさを報じるのはほどほどにして、今の平和はどうして守られているのか、非武装でいったい平和が保たれるものなのかなど、もっと本質的な安全保障論議をしてほしいと思うのです。旧軍の悪を追及するのはいい加減にして、今の自衛隊はどうあるべきかを話し合ってほしいのです。前向きな議論をしましょうよ。
 下の写真は、銀川にある中国映画の撮影場の中。1960年代の文革時代中国を示すセットがあり、そこでは紅衛兵の衣装を5元で貸し出していました。小生は中国に生まれていると、紅衛兵世代であり、米国に生まれていれば、ベトナムに兵士として派遣されていたという世代。そういう意味で、中国語を学んだ者として、文革は強い印象を持っています。