つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

憲法論議では国家、制度の良さまで話せ

 きょうは憲法記念日。昨今、改憲主張派の政党が改憲試案を出すなど憲法論議が盛んになっており、新聞やテレビでも特集をしています。たいへんいいことだと思います。しかし、小生が接する学生たちはそれほど憲法に関心を持っていないし、たぶん、全文読んだことがある学生は少ないように感じます。小中学校ならまだしも、高校レベルでは「日本国憲法」という個別の科目、授業が絶対に必要だと小生は思います。
 憲法を学べば、少なくとも国家とは何か、自分たちはどういう権利があり、義務がある、それらは他国と比べてどう違うのかという点がおぼろげながら分かり、身近に感じるでしょうから。残念ながら、小中学校、高校に多い左翼教師は、口では「現憲法の改悪反対」「9条を守れ」などと言っておきながら、生徒たちに十分憲法を学ばせようとしていない。これは自己矛盾ではないですか。
 北朝鮮や中国にはこんな権利すらなく、日本にはある。この素晴らしい権利を保障しているのは国家と憲法であり、この国家と制度を守るために、われわれはたとえ一定の犠牲を払ってでも守らなくてはならないと教えるべきだと思います。小生は「国際関係論」の授業の中でそういう話をしていますが、左翼教師は口が裂けても犠牲の部分は言わないでしょう。彼らの口癖は「戦争絶対悪」で、くそも味噌も一緒の議論をするのです。
 戦争には防衛的な戦争と侵略性の強い戦争があり、その違いを判断できるよう民主主義のルールを保持していくのだということを明確に教えなくてはなりません。ですが、左翼教師は、国民の判断を信じず、戦争絶対悪で、たとえ防衛的な戦争であろうと駄目だとしていまいます。天皇統帥権を背景に独走した戦前の日本軍の在り方は大いに問題があったけど、今日、尖閣諸島を守る戦いは正義なのだと区別する必要があるのではないでしょうか。そう区別しないと周辺国は鵜の目鷹の目で領土、領海拡張を狙ってきます。
 小生がかつて接した国立大学OB教授でこういう人がいました。防衛的な戦争さえも否定し、「では外国軍に日本国が攻められたら、あなたはどうする?」とこちらが質問すると、「手を挙げて相手の自由にさせる。殺されてもいい」とまで言うのです。こうした筋金入りの無内容左翼を説得することは不可能です。ただ、小生の予測では、こう言っている人間に限って殺されるのを嫌がり、真っ先に逃げるか、敵に迎合するかのような選択を取るものです。
 素晴らしい制度を保障する国土とそれを享受できる人民のシステムは、血であがなってでも自分たちでの手で守るのだという認識を若いうちから植えつけさせなければなりません。そうしないと、やがて周辺独裁強国の餌食となり、国は主権を奪われ、国民は奴隷状態にさせられてしまうでしょう。
 下の写真は、新潟県柏崎市にある米山の頂上付近。米山とは民謡でも「米山さんから雲が出た」と歌われた名峰なんですね。