つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

老齢者の年金支給は目視確認が前提だ

 きょう、約1ヶ月ぶりに船橋の有料老人ホームにいる母親を見舞ってきました。相変わらず、昔話ばかりで、小生には退屈な内容のものばかりですが、元気そうなので、安心しました。今年93歳になります。大正の一ケタ時代からよくもまあ生きてきたなという感じです。
 ところで、世情を見ると、なにやら親が家で死んでも、死亡届を出さず、葬式を催さないばかりか、親に出されている年金などを子供がそのまま詐取する事件が続発しています。このニュースを聞くにつけ世も末だなとしみじみ思います。
 人の死は一番尊厳をもって扱われなくてはならないもの。それがどうだ、死んでも放置し、挙句に臭くなってきたから、布団にくるんで押入れにぶち込む、ミイラ化したら、その骨を砕いてリュックサックに詰め込むとはなんということですか。子供にそんな仕打ちを受けた親は、せつなさの余り、死んでもまともに成仏できないでしょう。
 加えて、子供が親の年金を死後もかすめとるとは、金輪際考えられないろくでなしの仕儀です。そういう人もさることながら、年金機構や市町村も、生きていることを十分確認しないまま、言われるままに払い続けるというのが理解できません。これは、保護者の子供、家族の言を信じたいという性善説に立っているからでしょうか、それとも役所側のご都合主義、面倒臭いことを避ける体質でしょうか。
 犯罪者を前提に警察があるように、他の役所も世の中には悪い奴もいるという性悪説に立って対処する必要があるのではありませんか。少なくとも、生きていることを前提に金を払う以上、役所の人間がその生きているさまを目で確認してほしい。もし、それができないのなら、支払いを停止するくらいの姿勢が大事でしょう。
 北京に行くたびに定点観測している天安門広場前の前門、大柵欄地区。昔の面影を残す街づくりを進め、3年前の風景と一新したのには驚きました。その前門の入り口付近にある高級茶房で、ワンポット70元のジャスミン茶を所望。優雅な雰囲気に浸っていたのですが、その店のトイレに入ってびっくり。「便器がふさがるので、大便するな」と書かれてあったのです。思わず徒然草の「この木なからましかばと覚えしか」のフレーズを思い出してしまいました。