つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

Y紙にもジャスミン革命が必要だ

 かつてプロ野球は巨人中心に動いていました。相手がどこであろうと日本テレビが巨人戦を中継し、夏の夜はまた、大勢の人がビールを飲み、枝豆をつまみながら、それを見るのが風物詩でした。しかし、昨今は視聴率が下がったために地上波テレビでの巨人戦はなくなりましたし、この風物詩は確実になくなっています。
 その理由の一つには、巨人というチームがなりふり構わず、フリーエージェント宣言した他球団の有名選手、他球団で活躍し契約の切れた外国人選手を寄せ集め、”強力な”チーム作りをすることが多くのプロ野球ファンの反発を買っていること。また、巨人人気がプロ野球全体の人気を支えているのだという思い上がりの意識、そのエリート臭さを同球団幹部から感じることもこれに拍車をかけています。
 残念ながら、その傾向が同球団の幹部には分かっていないようで、今回もセ・リーグ開幕時期について、巨人のゴリ押しが見られました。星野楽天監督、新井選手会長が開幕時期に異論をとなえたのは、実は電力供給ひっ迫の折に早期に開幕することへの反対ではなく、こんな時まで巨人の言いなりでいいのかよ、もういい加減にしてくれという反発なのです。プロ野球の運営は巨人がすべて決めるものではないぞ、というのが彼らの裏に隠された痛烈なメッセージであると小生は分析しています。
 今や日本全国に球団が散らばり、そこそこに地域主体の応援が生まれ、人気球団は巨人に限りません。特に、以前は巨人ファンが多かった東北には楽天、北海道には日ハムが行き、巨人離れしています。このように巨人はもうとっくの昔に12球団のひとつでしかなくなっているのに、球団幹部は分かっていないようです。
 特にわかっていない人はあのご老体です。なぜ、80数歳の人が大新聞で王様のごとく君臨しているのかは不明ですが、世間から見ると、醜悪この上ないです。人間、この年になれば、粛々と一線を去り、遠くから愛情をもって成り行きを見つめ、時には業界全体、いや日本全体を俯瞰的に見て、控えめにアドバイスする程度でいいのではないでしょうか。
 イギリスの文明史家、ジョン・アクトンが言っているように「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」ものです。このご老体の生き様を見ていると、なにやらジャスミン革命で追い落とされた(されそうな)ベンアリ、ムバラクカダフィーのようでもありますが、依然権力は維持しています。Y紙にジャスミン革命は起きないのでしょうか。
 上海・和平賓館のジャスバーで、中国人によるオールドジャズバンドに続いて、アメリカ人グループの本格的なジャズバンドが出てきました。さすがに彼らの演奏は本物で、本場のジャズに酔いしれました。