つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

そろそろ花見のことも考えよう

 3万人以上の死者・行方不明者を悲しむように、今春はなかなか春らしいぬくもりが訪れず、あすで4月になろうというのに、小生の住む横浜・桜木町大岡川沿いの桜もまだ咲きません。明らかに例年より遅い感じです。でも、今日の暖かさを感じれば、来週初めにも5分咲きにはなるでしょう。気象協会の友人によれば、来週末が満開、見ごろとのことであり、楽しみです。
 例年、春になれば、だれでも桜に酔いたい、花見をしたいと思い、桜の開花話に熱中するのですが、今年は遠慮があってその話は出てこず、原発と被災民の話ばかり。石原都知事などからは「今どき、花見はないだろう。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出てくる」などと、花見の浮かれを自粛するようにとのお言葉もありました。確かに正論だけに真っ向から反論はできず、なにやら娯楽は一切御法度の石部金吉のような生活を続けざるをえません。
 ただ、きょう朝の日経新聞の一面コラム「春秋」に、地震後3週間がたつので、もうそろそろ地震の直接影響を受けないところはかつての生活に戻ってもいいのではないかというような論が出ていました。筆者が強調しているのは、被災地でないところが日常に戻っていることが逆に被災民に生きる希望を与えるとのこと。
 小生もこのコラムの主張に賛成します。これまで被災民への同情心から自粛も必要だったのでしょうが、ずっと続けば却って被災民を萎縮させてしまう恐れもあります。また、日本経済全体を低迷させてしまい、復興の原動力にはならないでしょう。景気とは気分の問題。被災民に申し訳ないとばかりなにもかも自粛していると全体に景気が落ち込み、酒税、消費税など既存税収まで減ってしまい、結果的に東北地方被災民のためにはならないのです。
 なにもはめを外してどんちゃん騒ぎをしようというのでないのです。ある時はあの大きな揺れのことを語り合って無事を喜び、ある時は原発事故不首尾の東電の悪口などを言ったりして、酒を飲みましょうよ。その際、少々の笑い声も必要です。そして、買い物もしましょう。買い物をすることは、酒を飲むことなどと比べてももっと罪悪感はないはずです。この際、家具や自動車を新調して、まだ十分使える現在のものを東北の知り合いに送ったらいかがでしょうか。
 下の写真は、上海で行きつけの延安西路にあるリンロンホテルの客室の入り口。もともと西洋館の一部をホテルに改装したものですから、そういう雰囲気を残しています。