つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

上野の花見宴会自粛、そういうことだったのか

 前に上野公園で花見宴会の自粛の看板が出ていたことについて、小生は「あまりにも抑制的だ」として石原都知事のやり方を批判しました。ところが、あとで友人から聞いたところによると、あの宴会自粛は、実はやもう得ない事情があったからで、その理由を聞いて納得しました。
 そのやもう得ない事情とは、仮設トイレの問題なんですね。上野公園の花見は例年、満開時になれば数万人規模で人が集まってきて、わいわいやります。酒が入れば、当然小便もしたくなる人が増えます。花冷えの夜であればなおのこと。そうなれば、既存のトイレでは足りず、毎年、仮設トイレが用意されます。
 ところが、今年は、その仮設トイレはすべて東日本大震災で被災された東北地方の避難所に運ばれたとのこと。つまり、上野公園に回す分はなかったそうです。それはやはり花見よりは被災者の生活優先ですから、当然のことでしょう。
 一方、トイレもない状態で、上野公園の花見を例年通り認めれば、酔客は小便を催してきたら、どこにでもしてしまいます。そうなると、上野公園全体がアンモニアの臭いで満ち満ちてしまい、一気に「文化の上野」のイメージは壊れてしまうでしょう。自粛はやもう得ないところです。
 ところで、震災からすでに1カ月半も経ちますが、まだ仮設住宅の方は遅々として進みませんね。10万人を超える人が依然として避難所生活で、ここに1カ月半暮らすのはたいへんなことだと思います。本当に同情します。ですが、こんなときに避難所に個室となるようなテントやパーテーションを提供する親切な人もいて感心しました。
 人間、やはりプライバシーは必要です。震災の興奮が醒めてくればなおのこと、普通の生活に戻りたい意識は強いでしょうから、仮設住宅は早急に必要ですし、それができない間、せめて他人の目を気にする必要のないパーテーションくらいは自治体が積極的に用意してあげてもいいように思います。
 23、24日に桜木町の野毛商店街で、恒例の大道芸祭がありました。小生のマンションから坂を下りてすぐの路上で、全身白色を塗った女性のパフォーマンスがありました。なんか、芸術性を感じるより彼らの自己満足の感じがしないでもなく、長くは見ていられませんでした。