つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

留飲が下がったぜ、橋下知事

 大阪の橋下知事が、国歌斉唱の際に立ちあがらないで、無視するような態度を取った教員はクビにすると宣言したことは、どっちつかずの中途半端な政治家が多いこの時代にしてははっきりとした物言いで、久しぶりに留飲が下がる思いがしました。小生は日本人である限り、国旗国歌には当然、敬意を込めるべきであると思っています。
 小生は1970年代初め、大学生のときに東南アジアを1カ月半ほどぶらぶらしたことがありました。まだ、海外旅行が自由でない時代、わずかな金を持って回る一人旅は心細かったのですが、日本の企業はすでにかなり進出していて、思わぬところで同胞日本人に遭遇、日本語を話せて親切にされた喜び、そしてこんなところにも日本企業の看板が出ていると驚き、誇らしく思った記憶、さらにタイでたまたま大使館前を通り、高々と掲げられた日の丸を見た感動は今でも忘れません。
 日の丸はアイデンティの象徴です。特に海外で見ると、無条件に日本人であることを認識させられるし、同時にわれわれはこの国家の枠組みの中で生きて、さまざまな自由、権利を得ているのだとしみじみ思わさせられます。今世界は、貧しい国家あり、不自由な国家ありとさまざまですが、日本はそれなりに誇れる先進国。この国をこれほどまでに繁栄させた先達、そしてそうした素地を作ってきた伝統文化に感謝せざるを得ません。その感謝の表現としてシンボル的な存在である日の丸に敬意を払うのは当然ではありませんか。
 左翼は、日の丸がかつて侵略戦争で使われたからいやだなどとのたまわっています。どの国の歴史にも明と暗の過去はありますが、だからといって、すべてを否定することはできないはずです。大英帝国ユニオンジャックはかつて7つの海で植民地獲得してきた象徴ですが、今、ユニオンジャックをなくせという議論はないでしょう。
 国家の帰属意識を示すために、国旗国歌に敬意を表するのは当然で、もしそれがいやだというなら、一度北朝鮮リビアイラクパキスタンなどの国民にでもなって住んでみたらよろしいでしょう。国旗国歌への敬意はアプリオリであり、思想信条の自由などとは程遠いものです。
 山東省青島―済南間にある淄博(ツーボー)という町はわれわれに同行したヤンリンの故郷です。その淄博市郊外に鍾乳洞がありますが、下の写真は、その鍾乳洞の上に造られた公園で撮ったものです。