つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

魁皇は引退準備をしていた

 大関魁皇がついに引退を発表しました。前回のブログで、優勝できない大関以上の力士は去れと書いたのですが、彼はあたかもそれを見たように(ありえないことですが、、)力士生活に幕を閉じました。
 プロスポーツはサラリーマン化するな、長くやればいいというものではないという小生の見解は揺らぐものではないのですが、引退発表後の魁皇が記者会見ですがすがしい顔をしている様子を見て、ああ、思い残すところはないのだろうな、満足しきったのだなとの印象を持ち、その点では、彼の相撲観や力士人生観に泥を投げつける形になってしまったブログをちょっと反省しています。
 魁皇が今場所で辞めるという予感はありました。というのは、今場所開幕早々、起利錦という元関取が魁皇から借りていた年寄株浅香山」を返却したというベタ記事が一般紙にも掲載されていたからです。これは魁皇の求めに応じたものでしょう。この記事を見て、魁皇もこれで心おきなく引退する準備を済ませたなと感じたものです。
 でも、魁皇が2場所続けて本場所がなかったにもかかわらず、名古屋場所まで現役に執念を燃やし続けたのは本当に通算勝ち星記録更新だけだったのでしょうか。今さら、優勝は期待できないので、それしか考えられないのですが、、。でも、そうだとしたら、あまりにも悲しい。幕内5回も優勝した力士が、通算記録などにこだわってどうするのでしょうか。
 横綱になった力士でも5回も優勝できない人がいる中で、魁皇の優勝回数は立派です。しかも、左四つ寄りというすばらしい型を持っていました。これほどの力士が最高の力が発揮できる年齢のときに連続優勝を遂げて、横綱にならなかったのは不思議です。その強さは、恐らく同年代の少なくとも元横綱若乃花を凌いでいたでしょう。
 ただ、8勝6敗では長く横綱はやれませんでしたね。魁皇横綱に上がっていたとしたら、早い時期に圧力がかかり、もっと引退は早まっていたでしょう。でも、大関でいたがゆえに、8勝6敗を重ね、通算勝ち星狙いに切り替えたのだとしたら、これもちょっと悲しい感じがします。
 それにしても、魁皇が通算勝ち星記録を達成した時に、花道で花束を渡した老夫人はいったい何者なのでしょうか。彼女は名古屋場所では毎日、指定席のように東の花道の通路わきマス席に陣取り、十両からずっと観戦しています。たいへんな好角家と見られますが、、。
下の写真は、上海の観光地、バンドから見た浦東地区の風景。