つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

体質の変わらない鉄道省

 中国・温州市での高速鉄道事故を見ると、ああやはり起きたかという感は否めなかったです。すでに経済は資本主義化したといっても、体制はまだ一党支配による開発独裁であり、当然、公的な交通手段やエネルギー、金属、鉱業など根幹企業はすべて昔の国営企業のまま。幹部は自らの出世ばかりに関心を持ち、「為人民服務」などのサービス精神は乏しいのです。
 第一、鉄道は企業にもなっておらず、日本のかつての「鉄道省」のようにまさに国直営の経営体ですから、変わりようがありません。したがって、お上がやることに民衆は文句を言うなの威圧的な姿勢を持ち続けており、そうした民衆軽視の風潮が今回の事故のベースにあると言えましょう。
 それにしても、事故後原因究明もしないうちに、事故車両をすぐに埋めてしまうというやり口は本当に驚きました。3、40年前ならば、それが通用したのでしょうね。民衆はまだメシが食えればいいというだけの烏合の衆で、共産党のやり方に文句など言えなかったから。でも今は、違います。民衆も”市民意識”を高めているのです。
 民衆の知的レベルが向上し、その上、インターネットという党の支配が及びにくい伝達手段があるので、批判がしやすく、批判意見を簡単に共有することができるのです。事故車両埋めは、民衆の意識変化を理解できない、いや理解しようとしない官僚主義的事業体の悪い体質がはしなくも出てしまったということでしょうが、今回、市民の激しい抗議でその変化をいやいや実感させられたことでしょう。
 ところで、高速鉄道事故は、国務院鉄道部(省)の鉄路権益をめぐる権力闘争に発展する傾向を示してきました。鉄道省はこれまで、江沢民系幹部が権益を一手に握り、鉄道高速化のうまみを吸収してきました。それを苦々しく思っていた胡錦濤などのグループは、今年春、江が病気し、力の弱体化が見られるのを見計らって、江の腹心の劉志軍鉄道相を汚職を理由に逮捕し、鉄道利権に手を突っ込み始めたのです。
 今回の事故を契機に、胡錦濤のグループはさらに鉄道省から江沢民派の一掃を目指すことと思います。そういう意味では、来年の18回党大会を前にして、胡錦濤派には「飛んで火にいる夏の虫」の如く、いい機会が巡ってきたということでしょう。
 山梨県下部温泉にある旅館「大黒屋」の岩風呂。