つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

北京は相変わらず白いもやに

 6日から14日まで9日間、夏休み休暇を利用し、またまた懲りずに中国を旅行してきました。今回は、北京経由で黒竜江省へ。まず、ロシア国境の黒河(対岸はプラゴベンシェスク)までフライトし、1泊して国境のアムール川や口岸(国境出入り口)を視察し、次の夕方、夜行列車の硬臥寝台でハルビンまで出ました。
 ほとんど十分な睡眠が取れないまま、駅前に待たせてあったワゴン車で、そのまま「工業な大慶に学べ」で有名な大慶へ。先進的な石油労働者、王進喜をほめたたえる博物館や、大湿原を見て1泊。再びハルビンに戻り、そこをベースに2泊3日で今後は、残留孤児が多く残り、開拓団の慰霊碑がある方正県、日本軍の細菌部隊、人体実験で有名な731部隊の平房区、金の王朝があったことで知られる阿城区など大ハルビン市の郊外を回りました。 
 再び北京に戻って2泊3日で、市内を観光。初めて天安門広場前にある国立博物館をのぞいたほか、定点観測の前門界隈、西単、王府井などを見てきました。そこで改めて北京で印象付けられたは、やはり白く霞んだ街中の風景。多分、車の排気ガスによる光化学スモッグのせいでしょう。
 最後の夜は、雨が少ない北京では珍しく夜中に激しい雷雨があったので、小生は、この白いもやも洗い流されるだろうと思ったのですが、翌日、下の写真にもあるようにやはり街は霞んでいました。小生が30年近く前に暮らした老北京は、青空から強い日差しがもろに肌に刺すような、空気に何の汚れもない街でした。そういう意味では、巨大都市化したぶんだけ、北京は環境汚染の宿命を負ったようで、たいへん残念です。
 ハルビン中心部から300キロ程度離れた方正県への旅は、当地に行って仲間内で急きょ決めたことです。その理由は、同県にある開拓団碑が反日分子によってペンキがかけられるという事件が最近起こったことから、その町の様子を急に見たくなったからです。この県からは多くの元開拓団の日本人やその親戚が日本に戻っており、日本との交流が深いところです。
 その関係か、同県から日本に嫁に来ている純粋の中国人女性はこれまでに2000人いるというのです。町中にも立派に国際結婚相談所がありました。そこで、小生は、日本から伴侶を求めに来た”初老の男”を装い、日本人との結婚を望む女性の写真やリストを見せてもらい、秘密取材しました。その報告は後日に。
 下の写真は、光化学スモッグに霞む天安門広場国立博物館からわずか500メートル程度の距離である毛沢東像も白くぼんやりして見えない感じです。