つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

金融資本主義の終わりの始まり

 ニューヨークで始まったとされる反格差社会の集会、デモは何か示唆的で、面白い動きだと感じます。ギリシャ危機でユーロ圏の崩壊が叫ばれている欧州でこうした動きが出るのならまだ理解できますが、オバマ政権のもと健康保険制度などむしろ社会主義的な政策が取られ始めた米国で最初に反格差が叫ばれたことに、小生は驚いています。
 ある評論家が言っていましたが、「これは金融資本主義の終わりの始まりではないか」と。小生も何となくそう思えてきます。08年にリーマンブラザースが破たんし、世界的な景気低迷が起きました。これを見て、世界の経済はやはり金融資本によって動かされているのだなと小生はしみじみ感じました。
 この破たんの影響は3年たって徐々に回復してきましたが、金融資本が世界を動かしているという構図は基本的に変わっていません。加えて、今度の欧州危機で再び世界的な金融不安が広がりました。こうしたことによって、米国の市民が、足が地に着いていない経済の不安定感、矛盾を改めて思い知らされ、こうした動きに出ているではないと愚推します。
 本来資本主義は、製造業を中心に語られるべきものです。その製造−販売−消費というシステムの副次的なものとしてあった金や証券が戦後、特に80年代以降一人歩きし、小才の利くオフィス・エリートがわけも分からぬ金融商品を次から次と作り出し、製造業の価値をはるかに超えた価値体系を生み出してしまいました。
 この結果、製造業は地道にものを作っても相対的にわずかな稼ぎにしかならず、逆に金融商品は実態経済を離れて膨大化し、金融機関は多額の利益を得、そこに勤める彼らは多額のサラリーを享受していたのです。つまり、金融にかかわるか、かかわらないかで大きな収入差が生じ、格差社会が出現してしまいました。こんな状態が長く続くわけがないと思っていましたが、案の定、米国で火が着きました。デモ隊が金融の総本山であるウォール街を目指したというのは、むべなるかなです。
 われわれはもう一度、製造業を見直し、ものを作る素晴らしさを再確認すべきではないでしょうか。金融機関は、マネーゲームなどにかかわらず、製造業が設備投資など一定の拡大を図るときに資金援助するという本来の任務に戻るべきではないでしょうか。
 下の写真はハルビン市平房区になる旧日本軍731部隊の遺跡の入り口付近でのスナップ。1980年代初め、小生が、最初にここを訪れた時に比べて、愛国基地になったためか、大分、様子がかわっていました。