つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

結果平等でなく、機会均等を重要視すべき

 岸田文雄首相は、総選挙前から「新自由主義からの脱却」などと声高に叫んでいました。それに対し、先日テレビ出演した維新の会の松井一郎代表は「そもそも今が新自由主義なのですか」みたいなことを言っていました。小生もそう思います。岸田が言っている内容はちょっと理解ができません。安倍内閣時代、新型コロナウイルスがはやると、全国民に10万円を配って、さらに一人当たりマスク2枚まで配りました。十分すぎるほど庶民に手厚い保護をしてきたのではありませんか。

 その上、赤字国債を大乱発してさらに国民全体に厚い手当をしてどうするんだろう。岸田総理も今回の総選挙後、さらに子供を対象に大判振る舞いする予算を組むみたいです。子供に限るのならまだいいでしょう。野党に至っては、どの政党も税金で全国民に金を配れといった主張をしています。それって、全く意味不明。全員に配るなら、最初から税金を取らなければいいのですから。そういう理屈になりませんか。こうしたことをやり過ぎると、国民は「何か困ったら、政府が必ず金をくれるから大丈夫」といつも思ってしまうでしょう。これでは、労働意欲も向上心もなくします。

 大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公、渋沢栄一は、「結果平等」でなく「機会均等」を重要視すべきだと主張しています。この意味するところは、何もしなくても、寝て暮らしていても、政府から金が来るのでまずまずの生活ができる、じゃ寝て暮らそうと考える人の生活まで保障しようということではないのです。渋沢は、人間には平等にチャンスを与えるべきだが、しかしその後に個人の能力や学習、仕事への姿勢、努力で差が付くのはしょうがない、その結果については、個々人は甘受すべきであるということを言っているのだと思います。

 歴史上試みられた社会主義がなぜ駄目だったか。中国の人民公社ソ連のコルフォーズ、ソフォーズがなぜうまくいかなかったか。それは、悪平等だったからです。他人を凌駕したい、他人より良い暮らしをしたいという人間の根源の性癖をまったく理解しない方式だったからです。さらには、特定個人の突出、能力の発露を認めなかった社会であったのです。現在、中国で話題になっているコングロマリット「恒大集団」の許家印オーナーは、河南省の貧しい農家の出身ですが、改革・開放の中で企業を起こし、不動産業で大成功を収めました。

 その許家印が自伝の中で明かしているですが、人民公社か生産隊か何かの中で、生産性を高めようとある種の提案をしたら、「そんな資本主義的なことをするな」「お前は政治的な姿勢が間違っている」などと攻め立てられたというのです。悪平等社会主義共産主義は個人の向上心を奪うだけでなく、組織全体の発展をも阻害してしまうのです。恒大集団は今、不動産への過剰投資で厳しい状況に置かれていますが、彼の向上心を考えると残念でなりません。

 愚かな日本の野党政治家は「格差をなくせ」などと声高に叫んでいますが、格差があるから、人間はそれを乗り越えよう、追いつこうとして社会は進歩するのです。なんやかや言っても、最後に国がすべて格差を解消してくれると感じたら、だれが一生懸命に働きますか。その点、維新の松井代表は格差はなくならない、それを前提にしての政策を考えるべきだというようなことを話していました。その通りだと思います。

 ただ、シビルミニマムの保障は大事です。実際に働きたくても、子育てや親の面倒で働けない人もいる。そういう個々の実情に合わせて保障を考えるべきだと思います。だから、大金持ちも、毎月10万円以下で暮らしている人も一律うん万円出すというような愚かな政策は止めにしてほしい。要は、個々の家庭、個人をよく見極めて対応してほしいと思います。

上の写真は、横浜・みなとみらい地区の高層アパート群の中で見た朝顔ようの花。

Sissel Kyrkjebø - Adagio by Tomaso Albinoni - 2006 - The Most Beautiful Voice In The World - YouTube

 世界一美しい声というタイトルが付いている女性歌手。確かに高音はサラ・ブライトマンに匹敵します。