つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

今さら分かる中選挙区制度の良さ

 昨日、産経新聞の一面コラムで、元衆院副議長の渡部恒三氏が選挙制度問題について自らの考え方を示していました。現在の衆院議員の任期終了まであと1年9か月程度しかないのですが、最高裁一票の格差とやらで現行制度の不備を指摘したため、もうこの制度での選挙はできず、制度の手直しは必定です。そういうこともあって、渡部氏はこの問題に言及したものと思われます。
 まあ、40歳以上の人ならだれでも鮮烈に記憶していますが、1990年代初頭に中選挙区制から小選挙区制への移行という選挙制度改正がありました。当時、小生も記者としてこの問題を取材したことがありましたが、選挙制度に特に強い意見を持っていたわけではなく、なんとなく現行制度では政権交代が起こりにくいのだから、政権交代させるためには小選挙区制もいい案ではないかなどと漠然と思っていました。
 それから20年がたち、果たして今の制度が素晴らしいかといえば、必ずしもそうではない感じがします。その可笑しさの第一は、国の議員を選ぶのに、大きい市の市長を選ぶより小さい地域を選挙区としていることです。これでは、衆院議員が個々の町の商店街の繁栄とか、さまざまな地域の下世話な問題などには精通するものの、概して国防など国の大方針を考える人は少なくなってしまうでしょう。
 可笑しさの第二は、選挙区投票者のマジョリティーを取るということですから、候補者はどうしてもマジョリティーに迎合しなければならず、勢いポピュリズムが横行します。つまり、小選挙区の議員は没個性で、特別な政策を持たず、ただなんとなくかっこいい人、見ばえのいい人が選ばれる傾向になります。さらに、小泉旋風のときも、先の民主の追い風のときもそうでしたが、いったん風が吹くと、候補者の個性や資質など関係なく、政党選びだけの投票となり、結果として落下傘であろうと、急きょ決まったタレントであろうと、二世であろうとお構いなく、当選してしまうのです。
 可笑しさの第三は180人も当選できる比例区並立制。この制度ではいったん風が吹くと、小選挙区でフォローの風を受けた政党の立候補者が大挙して当選するため、比例区では小選挙区に出ない下位順位者がこれまた大挙として当選してしまいます。ほとんど当選を考えなかった人まで当選するので彼らはラッキーとはしゃぎ、しかも議員生活は4年間だけと考えますから、まともな政策研究もしなければ、政治活動もせず、ひたすら歳費の蓄積という金儲けに走ることになります。
 20年前、小選挙区制への変更に賛成した渡部氏もさすがにこの制度の欠陥に気が付いたようで、紙面ではしきりに反省していました。そういう意味では、当時、消極的とはいえ賛成の考え方をしていた小生も反省しなければならないのでしょう。小選挙区制は確かに、政権交代を実現させましたが、日本はイギリスの労働、保守のように互いに政権能力を持つ2大政党が拮抗するのではなく、交代の受け皿となる政党があまりにもお粗末ということが分かっただけでした。渡部さんも、僭越ながら小生も、そこまでは計算できなかったのです。
 中選挙区制は個性的な議員を育てるとか、金も小選挙区ほどかからないなど、なくなってみて、改めてその良さがしみじみと感じさせるところがありますね。渡部さんの言うように、この際、大胆に選挙制度を変えて再び中選挙区制度に戻してみてはどうでしょうか。
 下の写真は、ハルビン市郊外の阿城区にある金上京歴史博物館の展示物。