つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

橋下、山口の教育論争を見て

 昨日日曜日、朝のテレビ朝日の番組で、橋下徹大阪市長山口二郎北海道大学教授が教育問題でやりやっていました。方々で話題になっているので、小生もちょっと触れたいと思います。番組早々の第一観は、山口氏は橋下氏の土俵に乗ってしまったので、これでは勝ち目はないなとの印象でしたが、ずっと見ていて案の定、討論にもならないほどの山口氏の惨敗でした。
 教育委員会が形骸化していることについては、これはどこのだれに聞いても「その通り」という同じような答えが返ってくるでしょう。つまり、土地収用委員会や公安委員会などの委員と同じように名誉職であり、名誉職の割には多額の報酬がもらえるため、皆やりたがるポストです。ですが、多額の報酬、名誉と引き換えにしょせんは自治体首長あるいは当局側の言いなりで「めくら判」(差別用語であることは分かっていますが、他に的確な言葉がありません)を押すだけなのです。
 そうしたことを前提に話さなければならないのに、山口氏はやたら形式論から入り、具体的な方法論を提示する橋下氏に反論できませんでした。まあ、教育が専門でもない国立大学の先生と、自治体の首長をして教育現場の実情を知り尽くしている人との間で、もともとかみ合う議論があるはずがありません。基礎知識の程度が違うのですから。山口氏は結局、抽象論とあるべき論を言うだけにとどまってしまったのです。
 でも、山口氏の「少数意見も大事にしろ」という論にはがっかりしました。まさに、いつでも国民の3%程度しか支持が得られない無内容左翼の謂いだからです。まあ、彼のこれまでの言動を見ていてもそうでしたが、国立大学界の「朝日新聞」「岩波書店」的人種というところでしょうか。
 この手の御仁は、批判することで一見かっこよさそうなポーズを取るだけで、現状を少しでも変えようとすることには不熱心。実は本質的には超保守主義者なのです。ジュゴンを守ろうなどと言って普天間基地辺野古移設に反対することで、普天間の危険性に目をつぶり、何も現状を変えようとしない(党首もほとんど変わらない)超反動、スターリニズム政党と一緒です。世の中オールオアナッシングではないんですがね、、。
 批判するだけなら楽だけど、批判では一歩も前に進みません。その点、橋下氏は少なくとも彼自身が今よりはいいと判断する方向に向けて努力している姿勢は見えます。その方向の正否は分かりませんが、投票で彼を市長に選んだ以上はその方向に従うしかないでしょう。彼が言うように、それが民主主義です。
 またまた、橋下氏の持ち上げになってしまいました。彼の政見は小生の感性に合っているので、批判のしようがありません。あえて、今回の教育論争で橋下批判をするとなれば、大きな教育目標はやはり自治体単位でなく、日本全体で決めた方がいいと思います。
 下の写真は、京都で宿泊したホテル京都オークラ16階から三条大橋を経て、東山三十六峰を望んだ風景。