つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

米軍沖縄基地の意味

 米国は新年に発表した新しい国防戦略構想の中でこれまでの方針を大転換し、中東地域中心から太平洋中心にシフト換えすることを明らかにしました。まあ、半分冗談ぽく言えば、オバマ大統領ならありえることだなと思いました。と言うのは、彼は太平洋のど真ん中のハワイ生まれだし、幼少のころは、インドネシアで育っています。太平洋には強い愛着があるのは当たり前です。
 しかし、真面目に言えば、そんな大統領のノスタルジーだけでは動かないでしょう。やはり太平洋へのシフト転換は、米国が今後の世界覇権の主要敵として中国を置いたことを意味しているのだと思います。特に、中国は南シナ海を「核心的利益」と位置づけたことが、米国にとって一種の恐怖を呼び起こしたのではないでしょうか。かつて、日本軍が北部仏印から南部仏印に進駐したことで、フィリピンを植民地にしていた米国が恐怖感を持ち、日本との戦争を決意したことと相似しています。
 フィリピンは今やれっきとした独立国であり、南シナ海周辺に米国の衛星国もなく、同海を他国に牛耳られる恐怖感はかつてほどはないにしても、この海はやはり米国の影響下にあってほしいという強い思いは60数年前と変わってないのでしょう。米国の南シナ海防衛への意思は海兵隊ダーウィン(オーストラリア)駐留を決めたことにも表れています。
 今、中国は尖閣諸島も「核心的利益」と言い出しています。そうなると、東シナ海も中国の影響下に入る可能性があり、そのまま行けば、米国にとってそれこそ「核心的利益」である太平洋の支配権も脅かされることも考えられます。日本は尖閣諸島に関して米国と一致した視点を持っています。そして日米同盟関係を構築し、米国に安全保障を委ねているのであれば、米戦略の観点から沖縄米軍基地の重要性を考えていかなければならないのです。
 日本のおバカな首相が普天間基地の移転先として「最低でも県外」と言いましたが、海兵隊基地は沖縄にあるから価値があるのであって、他の地域では代替しえないものなのです。太平洋戦争末期に米国がなぜ多大な犠牲を払って沖縄を取りに来たか、われわれはもっと戦略的な思考で考えるべきでしょう。
 われわれが同胞である沖縄県民の負担軽減を支援するならば、町中にある普天間基地を一日でも早く終わらせることであり、そのために少しでも一般市民の影響の受けにくい辺野古への移転を促進していくこと、それがベストだと思うのです。ジュゴンの保護と国家の安全保障を同レベルで考えることは許されないのです。また、瑣末なことをもって米軍の沖縄基地を否定することも許されません。米軍基地を追い出したいというのなら、日本が核武装も含めて本格的な軍事力を持つしかありません。
 下の写真は、京都洛中にある禅宗名刹建仁寺」坊内にある中庭の風情。