つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

吉本隆明並べてインテリ気取る

 仕事で5日間ほど、中国・大連に行ってきました。ので、このブログも1週間のご無沙汰になってしまいました。大連は夜、零下10度近く。東京、横浜ではこの時期、いやこの時期どころではない、真冬でも考えられない寒さです。中国の東北3省とはいえ最南端であり、3月も中旬であれば、春めく陽気かなと思っていましたが、見事に期待を裏切られました。
 帰ってきて新聞を渉猟していちばん驚いたのは、吉本隆明氏の訃報でした。まあ、年齢を見ると80歳後半ということなので、言ってみれば天寿全うでしょうが、それにしても、羽仁五郎針生一郎いいだももなどと同様に、われわれ学生時代の教祖的な人だっただけに、「ああ、あの時代はもう大部昔の話になったのだな」と改めて感じ入ってしまいました。
 でも、実は小生、吉本氏の本は1、2冊程度しか読んでいないし、正直に言えば、その内容も難解すぎて、当時ほとんど分かりませんでした。まさに小林秀雄並みの難しさと言えるでしょうね。ですから、かなりなぐり読みしていたので、真の意味で読んだとは言えないかも知れません。でも、かっこつけに本棚に並べてイッパシの吉本教徒を気取っていました。エセ・インテリゲンチャの悪いところです。
 小生にとっては、むしろ影響を受けた著作と言えば、羽仁五郎氏の方が上でした。分かりやすかったせいもありますね。「都市の論理」は今でも強烈な印象が残っていますし、ずっと持ち続けていました。何度かの引っ越しで、そのたびに書棚は整理してしてきましたが、感動した本、印象に残る本は、捨てられません。今改めて、狭くなった拙宅の本棚を探って、今でも片隅に存在することを確認しました。吉本隆明の本は残されていませんでした。
 残念ながら、現在ではこういう文芸、思想評論ものは読めませんね。無理して読んだとしても、頭に入らないだけ集中できず、すぐに居眠りしてしまうでしょう。今、面白い本と言えば時代小説。特に剣豪小説が大好きです。藤沢周平津本陽南條範夫、そして峰隆一郎。歴史上の実在人物でなく、作りだされた剣豪ものがいいです。電車や飛行機、待合室の中で読んでいると、時間があっという間に経つ面白さがあり、時間つぶしにはもってこいです。これも加齢によるものでしょうか。
 下の写真は、日本統治時代の建物が残る大連市の中心、中山広場ロータリー付近での一枚。瀋陽長春もそうですが、なぜかロータリーが多い。それは日本式都市建設の大きな特徴なのでしょうか。