つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

日野の新選組土方歳三資料館を訪ねました

 日野市にある土方歳三資料館が間もなく閉館になるということで、先日21日、その資料館に出かけました。いやー、同じ首都圏の都心への通勤圏内とは言いながらも、横浜・桜木町から日野まで遠いこと、遠いこと。ゆうに2時間近くかかりました。それはともかく天候が良かったこともあって、土方資料館は行列で待ち時間こそなかったのですが、館内は満員御礼状態。小生のような酔狂な人が3,4人程度いるだけと思っていたのに、予想外でした。それだけ新選組ファンが多いということか、それとも皆さん、マンボーで単に外出に飢えていただけか。

 土方資料館は正午から開館ということで、先に日野市のふるさと歴史館を見ようと、JR横浜線で八王子に向かい、中央線に乗り換えて日野まで行きました。市営の新選組ふるさと歴史館は日野駅からの方が近いのです。ここでは日野という町の歴史、なぜ新選組隊士を多く産んだかという背景が説明されてました。多摩、特に八王子、日野界隈には幕府傘下の「八王子千人同心」という組織があり、その関係で武術熱が盛んで、特に天然理心流が流行っていたそうな。新選組の6番隊長、井上源三郎も千人同心の家系で、理心流を学んでいました。

 ふるさと歴史館のあと、土方の姉の亭主で名主一族の佐藤彦五郎の資料館へ。さらには理心流の道場があった本陣跡を見学したあと、タクシーで多摩モノレール・万願寺駅近くにある土方歳三資料館に向かいました。この道中知り合った若い新選組ファンの女性に聞くと、やはり新選組の中では圧倒的に土方ファンが多いとか。小生は沖田総司だと思っていましたが、近年逆転したようです。それは、函館で撮ったと見られる洋装、総髪の土方の全身写真が発見され、彼が美男子であることが分かったからでしょうか。

 それまで新選組の美男子と言えば沖田総司だったのですが、これは多分に映画、ドラマなどで演じた人の影響を受けているもよう。やはり、実物の写真には敵いません。さらに、司馬遼太郎の「燃えよ剣」の影響かも。この小説は再三映像化されており、最近でも岡田准一主演で映画になりました。これで土方ブームが起きた感があります。ちなみに、道中知り合った女性は「私は近藤勇ファン」と言ってました。小生は「でも、近藤は写真を見る限りブオトコだけど…」と話を向けると、「でも、剣は強かった。格好は関係ない」とのことでした。

 実は、小生は2番隊長永倉新八ファン。彼を主人公にした小説を書いていてすでに脱稿、できれば出版したいと思っています。新選組は京都から船で江戸に戻った後、勝海舟の指示で官軍を迎え撃つため甲陽鎮撫隊という組織で甲州に向かうのですが、その途中郷里の日野に立ち寄ります。その辺のところも書いたので、今回、最後の文章整理のため、永倉に関した資料がないかと日野を訪れたのです。佐藤彦五郎の子孫の方から、小生が考えたストーリーとは違うことを聞いたので、修正が必要かなと思っています。

 土方資料館のあと、歳三の墓がある石田寺も参拝しました。こちらの方にも三々五々墓参りの人が来ました。で、その参拝の人たちと話し始めると、次から次と話が出てきて止まらない。ついにサイゼリアでお茶して、4,5人で「新選組同盟」というグループラインまで作りました。でも、どうしてこうも新選組ファンって多いのだろう。それも若い人に。時代の変化を受け入れず、最後まで「徳川命」で刀を振るった一途な姿が恰好いいのか、それとも滅びゆく者への感傷か、単に剣がやたら強かったからか。

 小生、新選組に関する小説を書いたので、一新選組ファンとしてなんとかものにしたい。永倉新八明治24年、江戸から鉄道を使って京都を再訪します。それは芸妓に産ませた女児の行方を捜すのが主な目的で、そのことを中心に据えています。父と娘の物語なので情緒を込めて書きました。多くの人に読んでもらいたいと思っています。

 上の写真は、日野市万願寺近くの土方歳三資料館の入り口。下の方は、歳三お手植えの笹と、彼が若い時に売り歩いていた万能薬「石田散薬」の幟(のぼり)。小生が手にしているのは、天然理心流で使われた木刀。