つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「友愛の海」、はなはだ崇高ですが、、

 鳩山由紀夫なる御仁は本当におめでたいというか、国際政治や外交が分かっていないというか、よくもまあ、こんな人が総理大臣をやっていたのかと、改めて呆れてしまいます。なんだか知らないが、民間団体の長としてこのほど北京を訪問し、習近平国家副主席と会談、「東シナ海を友愛の海に」などと再びのたまわった由。中国側は内心、「こんなばかが政権政党の中枢にいる限り、こちらの思うつぼだ」と思ったでしょうね。
 「友愛の海」にしたいという願望ははなはだ崇高な目標で、だれも反対しません。しかし、残念ながらそれを保障する客観的情勢にはないのです。今、中国は膨大な軍事力を背景に拡張主義、新覇権主義の国家になっています。尖閣諸島領域にも監視船が堂々と入るようなって、徐々に既成事実化を進めています。そんなときに、やられている方が、口先だけで「友愛の海」と言って、どんな意味があるのでしょうか。
 国際政治というのは冷厳なもので、口では「友好」と言っても、実態はそれとはかけ離れたことをするというのが、残念ながら古今東西の習いです。つまり、軍事力を背景にした外交、もっと突き詰めて言えばパワーバランスがない限り、対等な外交、友好関係は本来成り立ちえないのです。
 口で友好と言えば、相手も無条件に友好的になってくれるのなら、どの国も軍事力など持たないでしょう。彼我に軍事力の差がある時、弱者の方が「友愛」や「友好」を持ち出したとしたら、それは強権者に隷属する意思を示したことにほかなりません。それぞれの国家が国益を追求する限り、国家関係は性悪説で考えなければならないのです。強権者に隷属するのであれば、確かに一定の「平和」は確保されるでしょうが、際限なく国益は損なわれていきます。
 今、日本と中国の関係で言えば、こちらが「友好」を言っても、本質的に中国側が相手にしてくれません。こちらに戦う気構えとその戦力がないと踏んでいるからです。で、東シナ海では徐々に日本の既得権益は奪われていくでしょう。「友愛の海」にするには、中国側の軍事力に拮抗する力をこちらも備えているという条件が必要なのです。鳩山のおぼっちゃまには、その辺のところがまったく分かっていないようです。いい加減、民主党はこんな無知な人を外交の場に出させないようにしてくれませんか。日本全体が迷惑です。
 下の写真は、大連市内の繁華街での一枚。右の女性は、かつて小生の事務所にいたヤンリンで、北京から駆けつけてもらいました。左の女性は、江西省南昌市で日本語教師をしている高さんで、ヤンリンの友達です。