つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

尖閣への侵攻も権力闘争の一環

 中国という一党独裁国は、本当にこまった存在です。南シナ海岩礁を埋め立て軍事基地化を図り、大方のASEAN諸国や米、日、オーストラリアなどの反発を受けているのに、さらに東シナ海尖閣諸島海域で漁船団や公船を繰り出して挑発を続け、新たな紛争の火種を作っています。これでは、小生も含めて中国に近親感を抱いている人間も不快感を募らせ、無関心派はますます中国嫌いになってしまうでしょう。
 尖閣諸島に漁船を終結させのは、明らかに党・政府の一定の指示のもとに行われた行動です。かつて1978年、日中平和友好条約が結ばれた際も、中国はことさらその友好ムードをぶち壊すように大量の漁船団を尖閣周辺に集結させました。こうした例を見ると、やはり選挙で選ばれない指導部の限界、非民主主義国の”性”を感じてしまいます。
 というのは、今、中国では党・政府の現役、OB幹部が集まって重要事項を話し合う夏の恒例行事、北戴河会議が開かれています。ここで習近平氏は自らの権力者としての存在理由を誇示するため、どうしても国家の威厳、共産党執政の正統性を示すように対外的に強硬姿勢を取らざるを得ないのです。そうしないと、会議でOBから批判されるし、国内ナショナリストたちの支持が得られないのです。
 実は、1978年も毛沢東主席が死んだ翌々年で、当時の華国鋒指導部に対し、訒小平派が奪権を企てていました。より対外的に強硬姿勢を示す方が権力者にふさわしいという観点で権力闘争が展開されていたため、勢い国外の敵を作らざるを得なかったのです。つまり、国内政治のために対外関係を利用するという構図です。
 その”敵作り”に利用されたのが日本とベトナムでした。1979年のベトナム侵攻もその一環です。1978年当時、小生は地方支局にいたのですが、当然中国にも関心を持っており、同年に初めて中国を訪問しています。ですから、それまで日中友好をうたってきた中国が今なぜ、日中対決姿勢を示すのか、日本が長年ほうってある小さな領土問題を今なぜ、フレームアップさせるのか、大いに疑問を持ちました。
 その謎解きはそれほど難しくないのです。中国では権力闘争のためには手段を選ばない。自ら権力を奪取するためなら、たとえ外交関係を犠牲にしてでもという思いが幹部に共通しています。逆に見れば、権力闘争に負けると、重要情報を簡単に外国に差し出し、中国の国益さえ毀損してしまうということもあり得るのです。
 汚職や職権乱用で無期懲役の刑を受けた令計画元党中央弁公庁主任の実弟令完成は今、兄から預かった大量の機密情報を持って米国に逃亡しており、それをすでに最大の”敵性国”米国に売り渡したと報じられています。その機密の中には、中国の核兵器管理に関する情報、指導部の個人情報なども含まれており、事実上、中南海の中を丸裸にするような情報ばかりです。
 愛国主義共産党なんて、ちゃんちゃらおかしい、なにが愛国者か。令完成の例を見れば、一目瞭然。そのほか、中央幹部のほとんどが海外に移住拠点をすでに用意しており、大量の外貨も預託している。権力闘争に負ければ、監獄が待っているだけなので、彼らはすぐさま海外に逃亡する。そんな国なのです。悲しむべき非民主主義国の現実です。

 上の写真は、極東ロシア・ウラジオストック駅頭で見かけたロシア人ガイド。中国人の旅行団を率いて流暢な中国語を話していました。