つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

橋下市長の方向転換を容認

 橋下大阪市長が前言を翻し、にわかに大飯原発再運転へ賛成に回ったとして大騒ぎしています。小生は、これって非難に値しないのではないかと思っています。政治家である以上、現実に即してある程度の妥協、方向転換が必要であることは論を待ちません。自らが望んでいること以外すべて認めない、オールオアナッシングというのは、社民党などに見られますが、これでは左翼小児症ではないですか。
 再三このブログで指摘しているように、小生は原発に対して確固たる意見を持っていません。しかしながら、原発即廃止という短絡的な考えもしていません。原発が危険だという意見で反対する人がいますが、文明の進化、技術の進歩によってわれわれは総じて便利さを享受するときに、同時にある程度の危険性を呼び込んでいるのはまぎれもない事実で、100%避けることはできません。
 たとえば、よく例に出されますが、自動車がそうです。移動に速さをもたらし、われわれの生活を豊かにしてくれましたが、一方でこの自動車のスピードや大きさによって死傷事故は後を絶ちません。だからと言って今さら、自動車をすべてなくせという議論にはならないでしょう。
 また、化石燃料を使うことで、環境は100年前、200年前に比べて著しく悪化しています。でも、化石燃料について、地球温暖化防止の世界会議などでは削減の方向を示してはいても、完全に使うのをよそうとかの議論にはなりません。
 化石燃料に代わって登場した原子力も一つの技術の進歩であって、特別扱いすることはできないでしょう。しかも、原子力は日常的に大気中に排出する”悪いもの”はなく、間違いなく化石燃料よりクリーン度が高いエネルギーということで、むしろ高く評価されてきました。それを福島第一原発事故によって急激にその評価を変えていいのかという疑問は正直小生の頭の中にあります。
 でも、原子力は一旦事故が起こると長期にわたり汚染が消えず、しかも目には見えない、臭いもしない厄介なものになってしまいます。こういう知覚できない恐怖に人間が耐えられないとするなら、廃止しなければならないという意見もそれなりに理解できます。要は、小生の認識はその程度のものです。
 利便性と危険性、プラスとマイナスをどう分析評価し、どこまで受け入れられるかを判断するのが政治家の使命です。その点では、橋下市長がそういう総合的な判断から受け入れに転じたのでしょうから、非難はできません。小生はむしろ、大きな方向でメリハリのあるかじ取りをするという政治家の姿勢として積極的に評価したいと思います。
 下の写真は、上海市の中心街・静安寺の風景。この近くには日本的なデパートもあり、賑わっているところです。