つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

もう社会ダーウィン主義の考え方で良いのでは

 一年少し前に死んだ愛犬マオは、内人が「ショップで売れ残りになっている。もう少しで保健所に連れていかれそうだから」などと言って大枚をはたいて連れて来た犬なので、当然、内人の方になついていました。2人で犬を連れて散歩するとき、小生がバッグに入れたマオを抱えていると、この犬は落ち着かなくなり、バッグをガリガリかきむしり、やがて内人の方ばかり向いて、あちらに抱っこさせてくれとせがむのです。仕方なく、バッグごと渡すと、この愚犬は落ち着きを取り戻し、喜々とした顔を内人に向けていました。飛んでもない犬です。

 でも、家の中で小生がソファーに独り座っていると、この愚犬は小生にも愛嬌を振りまかなくてはまずいと感じるのか、たまに膝の上に乗ってきます。その時はさすがに可愛い。そこで、もちろん加減しながら強く抱きしめると、マオは「フギャー」などとわめくのです。フギャーと言いながらも、やはり抱き締められていることが嬉しいらしく、満足そうな顔を小生の方に向けるのです。それはそれで可愛さが増します。小生は子供がいないので、子供を力いっぱい抱き締めた経験がない。マオを抱くとき、子供がいたらどうだったかといつも思っていました。それはともかく。

 死んだ犬のことを持ち出して何を言いたいのかということですが、抱き締めることはすなわち”密”をつくることです。再度強調しますが、密になることは素晴らしいことなんです。人間同士、親しくなるのは、飛沫が飛ぶような距離で話すからです。ソーシャルディスタンスがあったのでは、親密さ、愛情は深まらない。男女の仲では特にそうでしょう。それなのに、今、新型コロナウイルスのせいで、密になることが禁止されています。前回ブログにも書きましたが、密を悪とする昨今の風潮は、どれだけ人間社会を面白くなくさせているか、駄目にさせているか。

 レストラン、飲み屋に行っても席を空けろと言うし、家族は人に会うな、不急の会合は止めろと言う。もううんざりです。もうそろそろ英国、スウェーデン式の個々の自衛判断に任せる社会ダーウィン主義に転換してもいいのではないかと思います。経済は人が動くことで潤い、景気が湧く。人の動きを止めたら、経済は死に、とりわけ第三次産業は低迷する。コロナに罹患し、死ぬ前に、三次産業の従事者は経営不振で自殺も考えざるを得なくなるでしょう。自殺者の数がコロナ感染死者を上回るような事態は何としても避けなければならないと思います。

 それでも、あるジャーナリストは、「コロナで死んでは、経済も何もない。今率先してやることはコロナ対策で、ゴーツゥトラベル・キャンペーンなんて飛んでもない」など言っています。これに対し、橋下徹大阪市長は「自分はメディアに出てのうのうと稼いでいるくせに、きれいごとを言うな」などと批判していました。理想論、建前論だと耳に気持ちよく、一般に批判されにくいのですが、実際はそんなコメント、毒にも薬にもならない。現実はもっと複雑で、生活環境は厳しい状況にある。橋下氏が言うように、現実に目を向けるべきだと小生は思います。

 世の中、なんだってリスクはあるし、死ぬ人はいる。自動者事故で死んだ人は日本で一時期、年間一万人近くいたが、だからと言って自動車をなくせという議論にはならないでしょう。原発もそうですが、何でもかんでも危ない危ないと言って止めてしまったら、文明の進歩も社会の進歩もない感じがします。感染症なんて絶滅は不可能なのですから、人間もそれを克服するような抗体を身に付けていくしかないのです。その過程で、いささかの犠牲者が出るのは仕方のないこと。人類の歴史はそういう苦難、不条理を乗り越えて、今があるんだと思います。

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 上の写真は、友人が送ってきた「ソーシャルディスタンスを取ろう」の宣伝ポスター。なんでマグロなのか。マグロにもいろんな大きさがあるのに。