つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

無内容なコメントにはうんざり

 今問題になっている尖閣諸島問題は、テレビのワイドショーでも盛んに取り上げられていますが、いろいろ聞いていると、テレビ朝日系番組に出てくるコメンテーターは何を言っているのかわけが分からないコメントをするケースが多いようです。きょうの昼の番組でも、漫画家の黒鉄ヒロシが出てきて「もっと文化的に高い次元で解決を」などと意味不明の発言をしていました。一見、高尚そうなコメントなのですが、実体は何もない。こういうのは無責任発言っていうのでしょうね。
 彼が言う「文化的に高い次元の解決」っていったいどういうことを指しているのでしょうか。もっと具体的に語ってくれよと言いたい。問題は、日本の領土である尖閣諸島を中国側が歴史的に「発見した」という根拠だけでアプリオリに自国領土としているのが問題であり、彼らに議論する意思はありません。君のものか、僕のものかという単純な発想です。そこには文化的な次元が入り込む余地はありません。万万一、日本側が「尖閣あげる」と一方的に譲歩すれば、中国は了解するかも知れませんが、日本の尖閣領有のまま共同開発などと言っても中国側は納得しないでしょう。要は、領土問題というのは、それだけゼロサムゲームの国益むき出しの争いなのです。
 もう過去の人の小沢一郎氏も御多分に洩れず、3年前、訪韓した際、李明博大統領との会談で竹島放棄をほのめかしたそうで、その売国的姿勢が批判されています。当の小沢氏は「そんな発言はしなかった」と今さらながら放棄発言を否定していますが、そのあと続けて「感情的にいがみ合う前に、歴史的な交渉から冷静に議論し、合意と理解が得られるよう(日韓が)互いに努力すべきだ」などとのたまわっています。これもほとんど毒にも薬にもならない無内容な発言ですね。
 歴史的に言えば、竹島は、イスンマン大統領が戦後すぐに日本が敗戦で弱体化している隙をついて占拠したものであり、歴史的な交渉をすれば、こちらが圧倒的に有利。だからこそ、日本は国際司法裁判所に持ち込むこともできるわけです。つまり、韓国側は絶対に歴史的な議論などしないでしょう。それから「合意を得るよう互いに努力しよう」という発言もほとんど何もいっていないに等しい無内容さ。どうすれば合意が得られるのか、その具体的プロセスを示すことこそ重要であり、少なくともかつては首相に擬せられたほどの政治家であるなら、そのくらいの中身のある発言をすべきでしょう。
 尖閣竹島問題に対する街の一般市民コメントでも「もっと話し合いができないか」とか「双方で何かいい解決策を見出してほしい」とかの発言が聞かれますが、こうした発言も意味がないので放映しないでほしい。話し合いで解決するものなら、とっくに解決しているのです。日本側が何の手出しをしなくても香港の活動家が来たり、中国漁政船が尖閣周辺を遊弋するということが問題なのであり、われわれは一方的にやられているばかり。そういう現実を踏まえてどうしたらいいのか、どういう解決策があるのか、コメントするならせめてそういうプロセス論を話すものを放映してほしいのです。
 外交は力を背景にしなければ、もともと成り立たないもの。それは、奇しくも、平和憲法とやらをひたすら守り、麗しい友邦関係の維持に努めてきた日本に対し、それを弱体と見て牙を向けてきた周辺国の存在で思い知らされました。ですから、戦いを避け話し合いを主張する人は「日本側が譲歩すべきだ」「争うぐらいなら尖閣竹島もあげる」とはっきり言うべきだし、やはり領土を奪われたくないと思う人は、「最後は戦う覚悟があります」とまで言うべきです。
 下の写真は、安徽省績渓県にある胡適の故居の前でのスナップ。胡適は、清末から新中国初期にかけての知識人で、白話(口語文)文学を推進してきたことで有名。新中国になって毛沢東に批判され、台湾に逃げました。