つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

単なるばかな破壊者か

 田中真紀子なる御仁は、やはり異常性格者なのかも知れません。行政当局が長い時間をかけて粛々と当事者と進めていた大学新設への穏やかな流れの中に、昨日今日に突然大臣になったばかりの人が泥靴で踏み込んでいくなどというのは、常人のやる振る舞いではありません。彼女は目立ちがり屋なのか、それとも単なるばかな破壊者なのか。いずれにしても、今回のケースでは100%弁護する人はいないと思います。
 彼女は、日本国中に800近くという異常に多くの大学があり、これ以上大学を増やすのはいかがなものかという問題意識を持っているようですが、これ自体は自然な発想だと思います。いささか大学教育にかわっている小生としても、大学生で分数の計算どころか、英語の過去形も過去分詞も分からない、アルファベットの順序も分からない文系学生がいるのを見るにつけ、こういう子に果たして大学教育が必要か、もっと将来の生活につながる職業教育の方がいいのではないかなどという感じは持っています。しかし、その根本のシステムを変えたいのであれば、一から手続きを踏んで進めなければなりません。従来のシステムで現在進行中の学校にいじわるする必要はないのです。
 彼女の発言で解せないのは、大学設置審議会に4月くらいに申請して、どうして半年くらいで承認できるのかという疑問を示したこと。これは、文部科学省の役人の彼女への説明不足だと思いますが、大学設置者は長い間かけて、文部省当局と相談し、その指示を仰ぎ、学校建設や教授採用、学生募集を続けてきているのであって、いわば設置審にかけるのは「最後の儀式」みたいなもの。事実上、設置審はエンドースするか、オーソライズするだけの最後の場に過ぎないです。別に、設置審の先生方が一から判断し、指示を出すわけではないのですから。
 ふつうの頭の議員であれば、そのくらいの理屈は分かるものですが、大学が多いのはけしからんという一般的状況に対する個人的感情から、何の罪もない特定の新設大学に突然いちゃもんをつけるのは、まさに”暴走ばばあ”の態。世間的に見れば、まったくのばかげた話で、こんなことで無駄な労力を強いられる文部省当局もたいへんだと同情します。新設当事者にとっても、やっと長いマラソンのゴールかと思ったら、ゴール寸前であと10キロくらい走れと言われているようなもので、横槍大臣を憎んでも憎み切れないでしょう。
 真紀子女史は、外務省でもさまざまなトラブルを起こし、いわばいわくつきのおばさんです。そんな人を再度大臣にした野田首相も大いに問題。いったい何を考えているのか、まじめにやろうとしているのか、疑いたくなります。先に夫が防衛大臣でしくじったのを見るにつけ、田中夫婦はやはり議員失格。泉下で角栄さんは泣いていることでしょう。こんな夫婦を議員に選んできた新潟県民の見識もまた、疑いたくなります。
 下の写真は、夏に行った広州の黄埔軍官学校の敷地内で行われている学生向けの軍事訓練風景。中国の親は、一人っ子の子供をこれ以上甘やかせないように、夏に子供たちをこうしたキャンプに送り、軍人に鍛えてもらうのです。子供への軍国主義教育も怠っていません。