つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

生活保護は現物支給で駄目なのか

 今の日本人が果たしてビッグガバメントを望んでいるのか、あるいはスモールガバメントを求めているのかという観点から今回の総選挙の結果を見ると、小生はやはりスモールガバメントを望む人が多いのではないかと判断しています。小泉首相は、竹中平蔵氏を使って米国共和党型の新自由主義経済を目指しましたが、その結果、彼は5年以上政権に就いて、それでもまだ政権続行を求める声が渦巻いていました。この支持の背景にはすなわち、戦後ずっと続いてきた過度の社会福祉への漠然とした反発、そして福祉見直しの声なき声があったからだと思います。
 小生に言わせれば、福祉の中でも特におかしいのが生活保護なるものです。大阪維新の会を指揮する橋下徹大阪市長は、やはり過度な福祉に懸念を表明し、一定の支持を得ましたが、背景には同市で生活保護受給者が異常に多く、それへの反発があるからでしょう。テレビのドキュメント番組が取り上げていましたが、受給者の中にかなりの不適格者がいることは事実のようです。
 しかも、生活保護受給者には医療費が免除されますから、医者には掛かり放題。医者は医者で、ビジネス上の要請か、はてまた”お客さん”や薬局に迎合しての親切心か、薬の処方箋を乱発しています。ですから、その薬のほとんどは未使用のままか、すぐにゴミため(ゴミ入れ、コミ箱ではない)に捨てられることになり、そうした模様もテレビで放映されました。
 そもそも、長年国民年金を払ってきた人が65歳以上になってもらう国民年金の月額が7万円余であるのに対し、何の負担もしてこなかった人が、体の不調などの理由で働けないということでもらう生活保護費が11万円以上とかなりの高額であること、こうした逆転の仕組みを世間は納得できるものでしょうか。イソップ物語ではないですが、夏の間あくせく働いてきた蟻さんより、音楽を奏でて遊びほうけてきたキリギリスが冬になって優遇される社会って健全ですか。小生は、納得できません。
 生活保護受給者は受給認定されると、ぜいたく品はご法度であるものの、11万円の支給そのものに対するオブリゲーションはありません。こんな楽ちんなことはないです。小生は、生活保護者には少なくとも、身体の許す限りに町の掃除をさせるとか、なにか公的な事務を行わせるとか、また外に出られない人には家で手内職をさせるとかの公的な仕事、一定のノルマを課すべきだと思うのです。
 でも、自治体でこれまでそんな条件を出しているところはないですね。ですから、テレビで見る限り、受給者はすぐにパチンコ屋に行ったり、酒を飲んだり、さらにはこの生活保護費に群がる闇の世界の人たちもいて、結局、一般会計総税収40数兆円の中の3兆5000億円近い貴重な税金が浪費されてしまうのです。
 橋下市長は、「生活保護認定は国がやるべきだ」と主張していますが、これは地方自治体が認定をやるとなれば、しがらみがあったり、やくざ屋さんを含めてさまざまな圧力がかかったりで、厳密な認定ができないからだということでしょう。小生も、国が一元的に専門機関を設けて認定すべきだと思うのです。そうなれば、自治体によって認定の差も生じませんから。
 それから、生活保護費がどうして現金支給でなければいけないのですか。最低限の生活を保障するという観点に立てば、食糧、家具、部屋などは現物支給でいいのではないですか。支給が金である限り、それに群がる人や商売が出てくるのは当然のことで、現実に大阪市西成区のドヤ街ではそうした商売が成り立っています。
 税金というものは、執行する側は所詮自分の腹が痛むものでないということで、最後は寛容になります。小生に言わせれば、そうした寛容さ、甘やかしや不正の積み重ねが、最終的にチリも積もればということで、福祉負担額の右肩上がりを招いているのだと思うのです。
下の写真は、12月16日の日曜日、丹沢の大山に登った時の富士山。この日は、快晴で絶好の登山日和になりました。