つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

大鵬が理事長になっていたら、、

 不世出というか、稀代というか、相撲界において双葉山と並んで燦然と輝くのは大鵬という四股名ですが、その大鵬がお亡くなりなったというニュースがおととい入ってきました。大鵬柏戸と言えば、小生らが小、中学校時代に活躍された方々。ですから、われわれの記憶では、50年以上の前の人という感じなんですが、大鵬こと納谷幸喜氏の享年を見てびっくり、意外にも72歳という若さだったのです。柏戸も1996年に58歳でなくなりましたが、生きていれば74歳。世間常識で言えば、2人ともまだあの世に行く歳ではありませんよね。
 いろいろなワイドショーで大鵬特集をやっていたので、小生がうんちくを傾けるまでもないのですが、組んでよし、さばいてよし、押してよしとその強さは比類がない。加えて、顔、体型の美形、生き方の素晴らしさもあり、何一つとっても魅力的で、多くのファンを引き付けるのは当然と言えば当然だったかも知れません。現役時代順風満帆だった彼が、引退後脳梗塞を患ったり、娘婿の貴闘力がばくちで問題を起こすなどの辛い試練に直面したのはこれまた意外でした。
 本来なら、相撲協会理事長になってもよかったのでしょうが、病気によってその望みが絶たれたのは、本当に残念でした。彼は結構大相撲の改革派であり、もし理事長になっていたら、その後の組織運営は若干変わっていたかも。2,3年前、二所の関一門の枠を度外視して貴乃花親方が突如理事に立候補するという事態がありましたが、東京スポーツ紙によれば、この事態に納谷氏が深くかかわり、改革志向の強い貴乃花の理事就任をひそかに支持していたと言います。ですから、何年先か分かりませんが、貴乃花理事長の時代になり、そのとき納谷氏がまだ生きていたら改革の後ろ盾になっていたことでしょう。
 柏鵬時代として並び称された大鵬柏戸は相撲のタイプで言うと、柔と剛でまったく好対照でした。どういう相手にもうまく対応する大鵬に比べて、柏戸は立ち会いのあといきなり前まわしを引いて、最初の出足で押し切ってしまうタイプ。ですから、電車道などと言われ、決まった時は「強い」という印象を与えるのですが、四つに組むと、なぜか下手な組手になり、自らが力が出せる態勢になれない。そうこうしているうちに投げを打たれ、負けてしまうケースがよく見られました。
 大鵬はどちらかというと、ミスを犯さず、無難な取り口、一方柏戸は力強いけど一発屋で、防御に弱い。結果は、大鵬の32回優勝に対し柏戸はたった5回でした。人生でどういう対応をすれば、いい結果を生むことができるか。そんなことも感じさせる2人の取り口の違いですが、でも正直言いますと、小生はこの柏戸の相撲の方が好きでした。
 下の写真は、横浜・伊勢佐木町で見かけたある朝鮮焼肉店の飾り付け。