つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

爆破犯兄弟の犯行動機は分からない

 何が分からないといっても、今回のボストンマラソンでの爆弾事件ほど分からないものはない。内人は、犯人がロシア出身のイスラム教徒であることをとらえて、「イスラム教徒って頭の狂ってる人ばかりだから。イスラム教徒って大嫌い」とのたまうけど、イスラム教徒を十羽ひとからげにしてしまうのはあまりにも残酷すぎます。でも、どう考えても犯行の理由が見当たりません。単なる愉快犯としか思えません。
 マラソン大会の犯行のあと、警察官と銃撃戦を繰り広げているところを見ると、結構筋金入りの思想犯とも見受けられました。でも、犯人の生い立ちなどを探って犯行動機を分析してくれるワイドショーによれば、2人の兄弟のうち兄貴の方はプロボクサーになろうとしてなれず、米国人の友人もいない。「自分は米国になじまない」ということで大きな精神的挫折を味わい、その気持ちがイスラム過激派への接近をもたらしたとしています。
 一見、もっともらしいけど、よくよく考えてみると、これってへんじゃありませんか。彼らは米国で生まれたわけでなく、旧ソ連キルギスタン生まれのチェチェン人。2003年に10歳台で米国に渡ったというのです。つまり、もともと希望を求めて米国に渡ったのであり、そこで挫折を感じるのであれば生まれ故郷に戻るか、また別の国に移住すれば済む話です。なぜ、個人の夢が達成されない恨みを善良なるスポーツ好きの一般米国人に向けるのか。
 19歳の弟の方は医学を専攻しており、むしろ米国でドリームをかなえられる可能性のある人。しかも、米国になじんでいたというのです。そんな彼がどうして兄貴に引きずられてテロ行為に走るのか。そればかりか、最後は警察と銃撃戦を展開し、逃走劇を演じているのです。兄貴ほど挫折感がない彼がどうしてイスラム過激派テロリストのようになってしまうのか。
 もっと分からないのは、日曜朝の情報番組に出てくるいわゆるコメンテーターです。米国にはこうした犯罪を生み出す格差の構造があり、この格差にメスを入れないと駄目だみたいな話をしていました。何か事件があると、すぐ背景にこんな社会的問題がある、これが原因だと吹聴する輩がいるけど、こんな意味のないコメントなどおよそ聞きたくないですね。
 そもそも米国というのは自由の国で、才能、技能次第でアメリカンドリームがかなえられる国。そのドリームを実現した一握りの金持ちがいる代わりに、大勢の貧乏人がいることも許容しており、皆そういう社会であるという前提で移民してくるわけです。そうした社会システムになじまない人は祖国にとどまり、移民してくる必要はないのです。社会保障でぬくぬくしている国にいればいいのです。ですから、とりわけ移民者に関して、米国の格差を事件の背景に取り上げるなどまったく意味のないことです。
 下の写真は、先週土曜日20日午前、新宿御苑で開かれた自民党「桜を観る会」の風景。上の写真では、左側に小野寺防衛大臣が写っていますが、右側の安倍首相は、人気を反映してか周囲に大勢の人がたかり、頭だけしか撮れていません。下は、久しぶりにネクタイをした小生。もちろん、御苑は時期外れで桜など咲いていませんし、麻生首相のときより参加者が多ったせいか、「花よりだんご」のだんご、その他の食べ物もすぐになくなってしまいました。