つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

周南事件は限界集落への教訓か

 集落の、本来なら助け合う同士であるべき仲間5人を殺害し、放火するという山口県周南市限界集落の事件には本当に驚きました。小生は横溝正史の「八っ墓村」のモデルとなった津山事件を思い出してしまいました。犯人によっぽどの怨恨があったのか、それとも狂気のなせる業か分かりませんが、想像するに、一種の閉鎖社会では、こうした事件が起きかねないということでしょう。
 閉鎖社会で、村八分などという仲間外れに会うと、消極的な人間は自殺するか、あるいはよそに引っ越すかの方法を取ります。しかし、攻撃的な人は、他を抹殺する行動を取ることも往々にあります。それもある種の狂気を伴っての爆発的行動。日常が平穏であればあるほど、その爆発も激しいということなのかも知れません。
 しかし、限界集落は基本的に老人が多いわけですから、非常に保守的であり、旧来の価値観を壊す人を排除しやすいのですが、犯人は神奈川県の川崎市の方に仕事に行っていたといい、部分的に都会的な価値観を引きずった人だと想像します。多分、こうした価値観が集落の他の人とぶつかったのだと思います。
 日本全国には、山口県に限らず、至る所に限界集落があります。あるいは、今回のケースと同じように、よそから来た価値観の違う住民を村八分にしているところがあるのかも知れません。そういう意味で、今回の事件は、日本全国の限界集落住民に恐怖心を抱かせたことでしょう。
 しかし、不思議だったのは、この男はなぜ自動車に乗って逃げなかったのかとうこと。映像を見ると、家の車庫に2台、クルーザーのような大型車がありました。本来、逃走を図るのであれば、遠くに逃げるのがふつうで、それには車は欠かせません。家から大事なものも持ち出していないようですから、最初から山の中で自裁を図ることを念頭においていたのでしょうか。
 今回の事件は、いずれにしても教訓的であり、今後、限界集落の排他性、多様性の許容を考えていかなくてはならないのかも知れません。
 下の写真は、上海市郊外奉賢区の合弁会社近くにあるナイトクラブでの風景。これも狂気か、あるいは驚喜か。