つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

いまどき、誘拐という古典的犯罪

 きのう、東京の田園調布で女子高生の誘拐事件が発生しました。たまたま縛られた状態の女子高生を乗せた車が別のところで検問にかかり、犯人たちは御用となりました。これは本当に偶然で、不幸中の幸いと言うべきでしょう。まずは、女子高生に被害がなくて良かったと思います。でも、この事件を見て、小生は2つの点で驚きがありました。
 その一つは、いまだにこんな単純な誘拐という古典的な犯罪が行われているのかという点。小生もかつては社会部に所属し、警察取材した経験があるので、何回か誘拐事件に出くわしています。実は、被害者宅に犯人から電話があり、それが警察に通報された時点で、警察とメディア側は報道協定を結び、一切の経過がメディア上に明らかにされません。ですから、犯人側からすると、被害者や警察の出方が読みにくいという弱点があります。
 それから、身代金を受け取るとなると、犯人は必ず被害者側と接点を持たなくてはならないので、100%、身を隠して犯行を完遂することは不可能なのです。もし、身代金をうまく入手し、人質を返すことになれば、その人質は囚われていた居場所をある程度推測できるので、必ず足が付きます。
 もちろん、それを防ぐため、人質を殺すことが考えられますが、そうなると、逮捕された場合、かなりの刑を覚悟しなければならないのです。と考えると、こんな割の悪い犯罪はありません。小生の推測ですが、もしうまくいく可能性があるとしたら、その被害者側が犯人側に弱みを握られているが、なんらかの落度があり、警察に届けられないケースが生じた場合でしょう。
 もう一つの驚きは、闇のサイトなるもので知り合った人といとも簡単に徒党を組み、犯行に及んだことです。犯罪というのは複数でする場合、もっとも信頼がおける人同士で組まないと絶対うまくいかないと思います。というのは、もし、一人が金を握ったら、そのままトンズラこくこともありますし、自分は罪を逃れようと、他人を陥れることもありえます。
 闇のサイトで知り合った人間同士で、信頼関係は築けないでしょう。であれば、犯行がいまくいっても、その後に思わぬところで、端緒をつかまれてしまうことも大いにありうることです。普通の大人であったら、当然そういう判断ができるはずですが、そんな危険性を無視してまで犯行に及ぶ心理が分かりません。
 下の写真は、東京・築地の聖路加看護大構内の風景。何の木が知りませんが、10月末だというのに、すでに紅葉していました。