つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

朝日の謝罪は少し残念、やるせない

 朝日新聞社長が記者会見して、福島第一原発の吉田調書、慰安婦問題、池上彰さんの言論圧殺問題について謝罪しました。小生も、これまで朝日の居丈高な、日本の世論は我が社が作るみたいな上から目線の姿勢にいささか憤りを持っていましたので、自業自得でいい気味という気がしないでもありません。が、権威あるとされていたマスメディアの社幹部が会見で深々と頭を下げる姿を見ると、同業出身の端くれとしては、正直なところ、少し残念で、やるせない気持ちもあります。
 小生、先のブログで、慰安婦問題や池上問題について書きましたが、吉田調書については触れませんでした。吉田調書について言えば、朝日の根底に、政府批判、大企業批判(つまり東電批判)という社の姿勢が厳然とあり、そのため、記者全員が常にその方向に持っていくとの観念にとらわれているので、書いた記者も調書に対し自然にそういう読み方になってしまうのでしょう。
 編集担当の幹部は記者会見で、「少数しか目を通さなかったので、チェックが甘くなった」などと言っていましたが、少数か多数かは関係ないです。最初から社の方針が決まっているのですから、何人、何百人が読もうと、朝日社内の人であれば、社の方針に合わせた記事になってしまいます。
 今回、朝日にとって不幸だったのは、本来非公開であるべき文書が公開されてしまったことです。公開されれば、だれでも原文が読めるのですから、記事がミスリードしていることはすぐに分かってしまいます。ですから、吉田調書が公開された日に、朝日が謝罪記者会見したのは道理で、もう言い訳は効かないと判断したからでしょう。逆にいれば、ずっと非公開なら、自らの「正論」を言い続けたかもかも知れません。
 マスメディア関係者として、小生が気になるのは、朝日の報道姿勢が今後どうなってしまうのかという点です。常に政府、企業をただすという居丈高な姿勢で、特に自民党や大企業のやり方に批判的でした。これは、どうなってしまうのだろう。記者は少しは”色メガネ”を外すのでしょうか。
 国際政治を大学の片隅で論じている者からすると、集団的自衛権反対キャンペーンはどうなるのだろうかと思います。また、特定秘密保護法反対はどなるのか。小生は自民党の機関紙コラムで、いつも朝日のこれら何でも反対論調(社民党と同じ)を批判してきましたので、今後、”敵”であるべき朝日の論調がなくなるとしたら、少しさみしい気もします。

 上の写真は、内モンゴル自治区のオルドスの劇場で見た革命京劇「紅灯記」の舞台風景。文革時代、江青が指導してできたという革命京劇は今でもやっています。特に、東北地方が舞台で、敵が日本軍であるストーリーの紅灯記は観衆に受けやすいようです。