つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「責任者、出てこい」と言いたい不快なこと

 近ごろ、なぜこんなふうなの、どうしてこういうことがあるのってことが多いです。昔あった人生幸朗さんのぼやき漫才じゃないけど、思わず「責任者、出てこい」と叫びたくなります。その第一が近ごろ、テレビにやたらとおかまが多く登場すること。デブのおかま男が正々堂々とトヨタなどの大企業のコマーシャルに出てくると、ああついにおかまは日本でも市民権を得たのかと不快感が増してきます。
 おすぎとピーコというおかまが一時、一世を風靡していました。これが結構受けたためかどうかは分かりませんが、その後雨後の竹の子のようにさまざまな女性の恰好をしたおかまが登場してきました。あの「マツコ」とかいう巨人は特にもてはやされていますが、どんなところに”彼女”の魅力があるのか分かりません。少なくとも小生は、テレビであの顔を見ると、すぐ別のチャンネルに回してしまいたくなります。
 小生、別に男女の個人的な趣味までいちゃもんをつけるつもりはありませんが、出過ぎはいかがなものでしょうか。女性の反応は分かりませんが、男性から見た場合、おかまの登場は概して歓迎するものではないと思います。女性の恰好をしているのなら、やはり本物の女性、しかもできたら美しい女性を見たいものです。
 不快の2つ目は、おかまとはまったく関係ないけど、京浜東北線の日中の「快速運転」なるもの。この快速って横浜方面からは浜松町まで、埼玉方面では田端まではずっと各駅停車で、田端から浜松町までの間、若干駅を飛ばすだけの快速なのです。東京方面に行く乗客は少なくとも浜松町や田端までの途中駅を飛ばさないのですから、時間的なメリットはまったくありません。
 しかも、浜松町より乗降客が多いと思われる新橋駅に止まらないのも不合理です。新橋以外にも、有楽町、神田に行くには山手線に乗り換えなくてはなりません。小生は桜木町から新橋まで乗ることが多いので、乗り換えのタイムロスがある分、かえって不便に感じます。
 なんのために、京浜東北線は山手線並行部分の駅を飛ばす必要があるのでしょうか。合理化ということなら、もともとホームには駅員がいないのですから、人件費の節約にもならないでしょう。京浜東北の快速って快速でなく不快です。誰が望み、どういう理由で導入されたのか、一回、JR東日本に聞いてみたい気がします。

 上の写真は、伊勢神宮に近い二見ケ浦の夫婦岩。縄でつなげてなければ、ただの大小の2つの岩。初めて見ましたが、シンガポールの水吐きライオンと同じく、がっかりの感が大です。