つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

猿に「シャーロット」と命名、何が悪いの?

 ちょっと旧聞に属する話題になってしまいましたが、大分県高崎山のサル山で新しく生まれた猿に「シャーロット」という名前を付けたところ、批判が相次いだとのこと。つまり、英国のウィリアム王子夫妻に誕生した長女がこの名前になったので、サル園側はあやかって付けたのでしょうが、それを聞いた複数の人たちは「猿の名に付けるのは失礼(不敬?)だ」との気持ちで、反対したようです。
 この話を聞いた小生の第一感は、世の中にはなんと過剰な反応をする人がいるものだなということ。王室、皇室への敬意は分かりますが、過剰さはいかがなものかと思います。小生は記者時代に、日本の皇室の幼い子供たちに敬語を付けて報じることにささやかな抵抗を感じていました。すでに天皇や皇太子という公的立場に就いている方なら分かりますが、まだ幼稚園にも入っていない、尊敬に値するようなことなどしたこともない嬰児、子供にまで無前提に敬語など付けていいものかと。
 それはともかく、「シャーロットと命名して何が問題なのでしょうか」と、小生はクレームを付けた人に逆に聞きたいくらいです。シャーロットというのは王室だけで使われる名前ではなく、英語圏では一般的です。たまたま時期が重なって英国王室で生まれた王女にあやかって命名したというのなら、むしろ敬意を表しているのであって、不敬でも何でもないと思うのです。
 シャーロットが駄目というなら、ウィリアム(ビル)もヘンリーも、ジョージもエリザベス(リズ)も駄目ですかという話になってしまいます。こうした名前はすべて猿には付けられないのでしょうか。王室、皇室は英国に限らず、存在します。アブドラとかサルマンとかのサウジアラビアの王様の名前も付けられないのでしょうか。では、オバマとかオランドとか、メルケルとか、シンゾーとかの政治家の名前はどうですか、これも駄目ですか。
 テレビのワイドショーを見ていて、「高崎山の猿なのに、なぜ日本的な名前を付けないのか」という趣旨からシャーロット命名に反対していた人がいましたが、これならそれなりの理屈が通っているので理解できます。でも、小生は日本的な名前に固執する必要もないと思います。日本で飼っている大多数の犬猫は恐らく洋風の名前がついているはずです。それだけ呼びやすいということでありましょう。
 自己規制というのは一見、謙虚に見えますが、これをやり出すと収拾が着かなくなるし、限りなく可能性を狭めます。北朝鮮では、もし犬や牛に「金正恩」などと付けたら、収容所送りか銃殺でしょう。統制、恐怖社会では致し方ないことなのかもしれませんが、日本は自由の社会です。基本的に過度に自己規制する必要はないと思います。

 上の写真は我が家の猿でなく、愛犬のマオ。マオは日本風の名でなく、中国語の「毛(マオ)」から取っています。