つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

交通事故死亡者増から教えられたこと

 きょう朝のワイドショーを見ていたら、ずっと下降状態にあった交通事故死亡者の数が、昨年、反転上昇したと報じていました。その死亡者も65歳以上のいわゆる高齢者が多いとのことです。小生は現在、ペーパードライバー状態で運転をしていませんから、自ら事故を起こす心配はないのですが、年齢的にはこの部類に突入しましたから、他人ごとではありません。
 そのワイドショーの話の中で面白かったのは、交通事故を起こしやすいのは、粗暴、無謀な人でなく、日常的に諸ルールを厳格に守るようないわゆる「真面目な人」だというのです。一瞬、なぜルールを守る人が事故を起こすのかいぶかしい感じがするのですが、説明を聞いて納得しました。
 真面目な人は得てして他人も真面目に対処するだろうと思いがち。すなわちすべての人が交通ルールを守ると信じてしまうのです。例えば、信号のない交差点で、こちらが優先道路、左右は非優先道路と見た時、非優先道路から来た車は”絶対に”停止するだろうと確信し、迷わず直進します。しかし、中には非優先道路でも一時停止のルールを守らないドライバーもいるので、交差点で衝突事故を起こしてしまうのです。
 なるほどと思いました。少しでも他人のいい加減さを前提に対処するなら、こちらもスピードを緩めるはずです。「性善説」に立つ真面目な人ほど、他人の「善行」も信じ切ってしまうので、最悪の事態を想定しにくいのです。小生の友人がよく冗談で持ち出す言葉ですが、この世は聖書で言うところの「信じる者は救われる」の状態でなく、まさに「信じる者は足を掬われる」という状態なのかも知れません。
 これを国際政治に当てはめると、非常に分かりやすい。いわゆる”平和主義者”という御仁の中は「他人から危害を受けないためには、まずこちらから無害の意思を示すべきで、先に武器を捨てるべきだ」などと説く人がいます。でも結果は逆で、武器を捨てるともっとひどい目に遭うのです。それはかつてコラソン・アキノ政権下のフィリピンが経験しています。他国の善意を信じ、無防備状態のままでいると、侵略国の餌食になってしまいます。
 理想主義は美しいし、楽しいし、愉快な気分にさせます。でも、理想主義だけにとどまると、飛んでもない目に遭うことは、またさまざまな歴史が教えています。今朝、交通事故死亡者数増加という話から、国際政治の在り方まで考えてしまいました。考え過ぎでしょうか。

 上の写真は、香港の地下鉄のエスカレーター。小生が駐在していた時、エスカレーターでとどまる人は日本の関西方面と同じ右立ちしていたのですが、この写真を見る限り、東京スタイルの左立ちになっています。