つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

暗いニュース報道は民主主義の成熟度表す

 米大統領選は、普通、米時間の投票日当日夜になれば大勢が判明しますが、今回に限っては翌日夜になってもまだ決着がついていません。接戦である上に、ラストベルト(さび付いた)各州やノースカロライナ州などの郵便投票の集計が遅れているからで、そのために、恐らく最終的な票の画定は来週にずれ込むのではないかと見られています。今回の選挙はかつてないほど注目され、投票率も高かったので、その分開票作業も大変なようです。

 最終的に郵便投票の差でジョー・バイデン過半数の選挙人を取りそうですが、ドナルド・トランプもしぶとい。なかなか負けを認めず、裁判まで起こすなどと言っているので、最終決着は12月になるのではないかとの予測もあります。大統領職は2期まで認められているのに、1期4年だけで終わるのは悔しい。1期だけはカーター、ブッシュ(父)がそうだけど、それはイラン大使館人質事件の長期化とか、民主、共和以外の第3の候補が出たなどの不測の事態があったからで、むしろ積極的に政策を展開し、注目を浴びた自分が1期で終わるのは許せないとトランプは思っているのでしょう。

 バイデン新政権の方向性について論じるのは次回に譲るとして、今回は民主主義と報道の在り方について考えてみたいと思います。中国は周知のように、メディアに対しすべて検閲制度を敷き、当局の意にそぐわないニュースを流させません。具体的に言えば、中国メディアには共産党の方針、政策に逆らったり、反対したりするニュースは出てこないし、「報喜不報憂(喜びを報じ、悲しみは報じない)」の方針から、事故や事件で人が死ぬような話はなるべく伝えられません。古今東西独裁国家はいずれの国もそうでしょう。

 ですから、暗いニュースを報じられるかどうかが民主主義成熟度のバロメーターだとフランスの経済学者ジャック・アタリ氏は主張しています(日経新聞9月10日版)。小生もかつてメディアの世界に首を突っ込んでいたので、しみじみそう思います。アタリ氏は「暗いニュース」の必要性として、迫りくる脅威を周知させることで、読者、視聴者は自分たちを脅かす物事の正体を把握でき、この脅威に対し未然に警戒することができるからと言っています。確かに、交通事故や火災のニュースを見た人はその原因に興味を持ち、自分も気を付けようとしますから、報道の効果はあるように思います。

 ちなみに、もう一つ「暗いニュース」が必要なのは、人間には他人の不幸を知りたい、それによって自分自身の不幸を慰めたいという意識もあるのだとアタリ氏は指摘しています。これは民主主義の成熟度とは関係ないのですが、、。だれかが大儲けしたとか、表彰されたとか、記録を作ったという報道にわれわれは素直に喜んであげたい半面、自分にはなぜそういう幸せは来ないのかと逆に辛い気分になる場合もあります。その点、「他人の不幸は蜜の味」ではないが、暗いニュースは読者、視聴者に優越感を持たせる部分は確かにあります。

 中国のCCTV(中央テレビ)のニュースを見ると、どこどこでこんな豊作になったとか、新しい道路ができたとか、良いことばかりしか報じません。これでは報道と言うより単なる宣伝ですね。一方、米国のマスメディアは新聞であれ、テレビであれ、今、自身の旗幟を鮮明にし、トランプ支持かバイデン支持を明確に打ち出します。報道の中立性という観点からすると、大いに問題があるように思います。が、多くのメディアがあって、さまざまな主張が混在すれば、それはそれで民主主義なのかも知れません。

 現時点で、日本のマスメディアには中立性が求められています。小生自身も記者生活の中で会得したことですが、現象には裏表、メリット、デメリットがあるので、正負両方を書き込むことが必要なんだ、それがジャーナリズムなんだと思ってきました。そういう意味で、マスメディアのニュースの報じ方というのは政治制度、民主主義の在り方と密接に絡んでいるんでしょうね。でも、ネットの普及で大勢の一般発信者が出てくることで、米国のように、徐々に「中立性」はすたれていくような気がします。

 

 上の写真は、宮城県牡鹿半島の先、御番所公園展望台から見た金華山(島)と公園内の樹木。