つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「大阪都」反対の深層に市民のエリート意識か

 分からないと言えば、これほど分からないこともない。それは、昨日「大阪都」構想の是非をめぐる公民投票で、反対多数が上回り、大阪都が実現しないことになったこと。このブログで前に書いたけど、小生の住んでいる横浜市も神奈川県と二重行政の弊害が出ています。それは、小生の住むマンションの真ん前に横浜市中央図書館があるのに、ちょっと5分ほど歩いたところに県立の図書館もある。この近くに住む人たちにとっては幸せかも知れないが、県民の多くの人はこの恩恵に預かれない。何も、県立図書館はもっと離れたところにあってもいいと思うのに、双方が勝手に施設を造っているからそうなります。どうしてそういうことが想定できないのか。

 今回、大阪都が否定された一つの理由は、橋下徹元府知事・市長がテレビでいみじくも指摘されていたように、今は市、府の両トップとも維新の会系ですから、すでに二重行政にならないよう十分な布石ができていること。それなら、従来の行政単位を壊してまで大阪都にこだわる必要がないのではないかとかなりの人が判断したのかも。前回(20015年)の公民投票の時は、民主党系の大阪市長がいて、維新の会の橋下府知事と対立していました。対立していると話し合い、妥協がないので、市、府がそれぞれ勝手のことをしていて、今より二重行政がクローズアップされていました。

 もう一つの理由は、大阪府内には自治体権限が大きい政令指定都市大阪市のほか、堺市もあります。堺市は依然、政令都市のままなのに、なぜ大阪市だけ政令市を壊さなくてはならないのか、大阪市を廃止するなら、堺市だってなくなって然るべきだとのという意識が一部の人にあったものと思われます。これは、神奈川県にも言えることで、横浜市のほかに川崎、相模原という政令都市があり、横浜市だけ壊すということが絶対にありえないのと一緒です。

 さらに、意外にだれも指摘していないのですが、横浜市民が「僕らは横浜市民であって、神奈川県民なんて意識したことはない」というある種の優越感があるように、大阪市民にも「生粋の大阪人とはわしらのことや」という関西エリート意識があるのだと思います。わしら大阪府民というより大阪市民や、生粋の大阪人とは大阪市内の人間なんやで、堺も、寝屋川も、茨木も、吹田も、枚方も所詮みんな衛星都市やないかという強烈な”中心意識”があるのだと思います。でもこれも特別区になれば、徐々にそれぞれの区民意識が生まれ、変わっていくものと思われますが、、。

 自民党議員ら大阪都の反対派は「大阪都になるとコストがかかる」と喧伝していたそうな。でも、それは当たり前の話で、組織の改編を図るなら、当然一時的には莫大な金がかかるのは道理。でもそれも何年か経てば解消され、長期的にはコストダウンとなります。少なくとも、府と市のトップが違う政党系であれば、対立が起こり、必ず勝手に施設や制度をつくり出しますから、それは限りなく無駄です。現在のように市、府のトップが一緒なら確かに組織改編は必要がないのかも知れないが、いつもそういう状況になる保障はありません。と考えれば、大阪都構想は悪くないのでしょう。

 何か変えようとするとかなりの抵抗が生まれる、しかし、少しでも良くなる可能性があるのなら、勇気を持って踏み出すべきだというようなことを橋下氏はコメントしていました。まったくその通りで、憲法改正にも、安全保障にも、エネルギーミックスの問題にしても、いつも改変に後ろ向きな政党を見ると、うんざりします。世の中、制度変更してメリット100%、デメリットゼロなんてことはありません。要は、そのプラスマイナスの割合の問題。プラスが大きいなら、まず一歩を踏み出すべきです。

 ところで、今回の”敗北”で維新の会はどうなるんだろう。小生は新自由主義のこの政党が比較的好きなので、今回の大阪都構想の否定で政党自体がシュリンクしてしまうのではないかと心配しています。松井市長は代表を辞めるそうですが、それなら新型コロナウイルス問題で脚光を浴びた吉村洋文府知事が次のトップになり、この政党を引っぱっていってほしい。二重行政の問題を大阪だけでなく、全国で呼び起こすためにも、次期衆院選で大勢の候補者を出してほしいと思います。

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 上の写真は、夜の大阪・なんばの道頓堀。下の方は天保山埠頭にある人魚の象。