つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

舛添問題が出てきた背景は何か

 舛添要一東京都知事の公金横領、公私混同のケースが今、週刊誌やワイドショーで盛んに取り上げられています。その内容を見る限り、元東大教授であり、国会議員として大臣まで務められた方にしては、ちょっとせこいなという感じがしてなりません。舛添氏の元妻で国会議員の片山さつき女史がテレビのインタビューで、「やっぱり人間って変わらないのね」と感慨深そうなコメントをしていましたが、舛添氏というのはもともとそういう性向の人なのかも知れません。
 それにしても、猪瀬直樹氏に続いて2代にわたっての都知事の不祥事出現で、都民もいらだちを感じていることでしょう。イギリスの文明史家、ジョン・アクトン卿は「権力は腐敗する」「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」という名言を吐いていますが、舛添氏のケースを見ると、本当だなーってしみじみ思います。それにしてもやったことがみみっちい、せこすぎるという感じはしますが、、。
 首長は一国一城の主、その地域のトップで絶対権力者。一般有権者の直接投票によって決まるので、ある意味、国会議員の推挙で選ばれる首相より一層強くその負託性を感じることになります。ただ、その分、権力掌握の承認を得たと強く認識し、若干謙虚さを欠いて横暴なところが出てくる嫌いがありましょう。
 まして東京都は 年間予算規模で言えば、発展途上国以上の大きさがあるので、勢い都知事は膨大な権力を手にします。その地位に酔いしれてしまい、あたかも自分がフリーハンドを持った国主になったような錯覚に陥るのかも。石原慎太郎氏にもそういう傾向が見られました。石原氏は作家、猪瀬氏はノンフィクション作家、舛添氏は元アカデミズムの徒であり、彼らは純粋の政党人、官僚出身者でないので、正直権力機構の怖さを十分認識していないように見受けられます。
 元マスメディア人の目から見ると、もう一つ舛添問題で気になることがあります。それは、この問題の裏側に潜む本質は何かという点。もし何者かが「舛添下ろし」を仕掛けたとしたら、舛添氏を倒して何を狙っているのか。そもそも2期目にも入らない舛添氏を倒すのなら、なぜ2014年に彼を知事候補者に祭り上げたのか。
 小生には今のところ、その裏側が読めません。あるいは、自民党としっくりいっていなかったのか、舛添氏が従来の利権構造を無視し、それが一定勢力の逆鱗に触れたのか−その構図が見えてきません。

 上の写真は、先週末、奨学金支給財団の小旅行で南房総に行ったときのもの。最初に訪れたのが東京湾横断道の木更津側「海ほたる」。