つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

ドーピング問題、IOCの判断で良かった

 ロシアの国家ぐるみのドーピング問題で、国際オリンピック委員会IOC)は結局、各競技団体の判断に任せるということにしました。まあ、これでロシアは国全体での不参加が免れたわけで、ロシアのドーピングに関係ない選手はほっとしたでしょうし、世界全体のスポーツの発展のためにも良かったのではないかと小生は思います。
 ロシア、いや旧ソ連のことですが、1979年末にソ連軍がアフガニスタンに軍事侵攻したことに抗議し、時のカーター米大統領が呼びかけて、西側諸国は翌年80年のモスクワオリンピックをボイコットしました。日本も参加できず、この五輪に標準を合わせてきた大勢の選手が泣きました。いわば、スポーツ最大の祭典であるオリンピックが国際政治の犠牲になるという悪例を作ってしまったのです。
 民主党のカーター大統領は善意の人で理想主義者。それまでソ連を信用し、対話による東西の平和を模索していました。それなのにソ連がそういうデタント(緊張緩和)の雰囲気を破って現行世界秩序を破るような軍事行動、侵略的行動に出たことに驚き、憤慨し、オリンピック不参加という禁じ手を犯してしまいました。これは、理想主義者にありがちな極端から極端に走るという例でもありますが、、、。
 オリンピックはもともと、古代ギリシャで国同士が戦争していた時でも一時休戦して、この期間だけスポーツで争うということにし、オリンピック開催は政治の影響を受けない絶対的な存在だったのです。それ故に、オリンピックは価値あるものでした。それを愚かなカーターは知らなかったようです。 
 モスクワ五輪不参加により、次の開催である1984年のロサンゼルス五輪で今度は、ソ連が米国の南米グレナダへの侵攻を理由に、東ヨーロッパ諸国を引き連れて不参加を決めました。まあ、これは明らかにモスクワ五輪の報復であり、当時オリンピックの危機が叫ばれました。ですから、オリンピックは絶対国際政治に超越して存在しなければならないと思います。
 今回のケースは国際政治上の対立でなく、事はドーピングというスポーツ上の問題ですが、それでも国家ぐるみでやっているからと言って一罰百戒でその国のすべての選手を罰していいことにはなりません。スポーツ上の問題とはいえ、国全体の参加を認めないということは、残念ながら国際政治の延長、クリミア、ウクライナ問題などでのロシアへの遺恨の延長と見られても致し方ありません。
 ちゃんと規則を守ってドーピングに無関係な選手もいるわけですから、IOCは国全体でなく、選手一人ひとりを対象に検査して参加不参加を決めるべきです。その点、今回、IOCは最後のところで古代オリンピックの精神に戻ったようです。ロシアは主に陸上競技でドーピングが多いと聞きますが、その他はまあまあ「白」が多いのでは。関係ない選手はぜひロシア国旗を先頭に堂々と胸を張って入場行進してほしいと思います。

 上の写真は、鴨川シーワールドで見たカラフルな魚。