つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

華文紙に載った車内化粧の是非論

 先日、華文のフリーペーパーを読んでいたら、女性の電車内化粧の話が特集されていました。都内を走るある私鉄が車内広告で、「電車内の化粧はみっともないから、止めなさい」と訴えたら、この会社に直接やツイッター上で女性客から非難が殺到したとのこと。それで、同紙は、本当は車内化粧がいいのか悪いのかで蘊蓄を傾けているのです。
 女性たちが車内化粧を擁護する理由として、「これは女性に対する圧迫だ」「だれにも迷惑をかけていないのに、なぜ見っともないのだ」「車内でスマホを見るのとどこが違う」などと主張しています。もちろん、車内化粧禁止に賛同する女性の投書もあって、「やなり見た目が良くない。もっと早く起きて、家で化粧したら」と進言しています。これらは年配の女性が多いようです。
 小生の見方を言わせていただけるのなら、やはりできることなら止めた方がいいのではないかと思います。その理由。化粧はある種、美を追求するための途中経過です。家をきれいにするための掃除を他人に見せないのと同じように、途中経過の公開はやはり避けた方がいい。また、古来人前で化粧をする女性とは、肉体を資本とした特定の商売をする人たちと言われています。それが故に年配女性はこれを嫌う傾向があるのだと思います。
 「だれにも迷惑を掛けないではないか」という理由は、確かにかなりの部分その通りかも知れません。ですが、だれにも迷惑をかけなければいいというなら、かなりのことが可能になってしまいます。例えば夏、「暑いからきょうはパンツとランニングで通勤する」「電車内は上半身裸、しかも裸足」というのもだれにも迷惑を掛けない。手すりを使って懸垂運動しても迷惑を掛けません。
 ちょっと車内が空いている場合、座席で横になって寝る、あぐらをかく、さまざまな食物を並べて本格的に食事するのも基本的に他人の迷惑にならない。極端に言えば、”個室”になっている連結部分で小便をしても、鉄道会社には些少の迷惑になっても他の客の迷惑にはならない。(臭いが迷惑とするなら化粧も同じ)実際、中国の長距離満員電車では連結部分で子供に小便をさせている親を見ることがあります。それも可能なのか。
 車内は公共の場所という観点に立てば、化粧、大声の会話、ボリュームが大きいリスニング、食事などはやはり避けた方がいいと思うのです。ただ残念ながら、小生もその禁を犯したことがあります。若かりしころ、酒を呑んだ時に仲間内で大声で会話したり、大学の非常勤を午前と午後別の場所で掛け持ちしていたとき、市川駅から武蔵境駅まで昼飯時移動しないと間に合わないので、やむなく車内でパンとジュースの昼食を取ったりしたことがありました。
 華文フリーペーパーの女性記者は「自分も比較的空いている時に口紅を塗ることがあるが、ちょっと恥ずかしい気分になる。だれにも迷惑を掛けないけれども、一種の罪悪感はある。モラル意識というのは複雑ですね」と吐露しています。中国で車内化粧はあまり見られる現象ではないようです。
 小生の知り合いの女性は「車内で化粧する人って、化粧のビフォー、アフターで変わらない人が多いのよね」と言っていました。これは、素地の悪い人に限って好んでやる、美人はあまりやらないということを意味した物言いなのか。確かに、電車でのたたずまいが美しい人は車内化粧などやらないように思えます。

 上の写真は、スリランカコロンボ市内にあるカジノの入り口付近。場内は、博打をやるやらないにかかわらず飲食自由。酒も飲み放題です。小生はチップを買わずに、ひたすらワインを飲み、食べていました。