つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

建て前と本音、理想と現実

 世の中には建て前と本音、理想と現実という対立があります。建て前と理想で生きられれば、そんな素晴らしいことはないのですが、残念ながら、建て前だけの人生だと限りなく苦労しそうだし、つまらなくもなりそう。また、理想の世界だけに浸ろうとしても周囲が許してくれないでしょう。ですから、われわれは建て前を持ちながらもたまには本音も垣間見せ、あるいは理想を追いながらも、現実に対応して生きているのだと思います。
 要は、人間、その折り合いをどう付けるのかということなんでしょうが、トランプ大統領の発言を聞くと、本音や現実的な対応ばかりで、世界をリードすべき米国の大統領としてはあまりにも情けなく、尊敬の気持ちをなくさせます。特に、本音というものは他への思いやり、寛容性に欠け、自分勝手、自己利益追求であることから、語る人を限りなく安っぽく見せてしまうのです。 
 本音で言えば、われわれ日本人からすると、イスラム教徒は不気味です。中東はじめ世界各地で起きているテロのほとんどがイスラム教信奉者によるものだし、女性はスカーフならまだしも、真っ黒黒のブルカなどを義務付けるような宗教ですから。キリスト教徒や仏教国の人たちからすれば、なるべく周囲に近づけたくないというのが偽らざる思いでしょう。
 また、経済的に既得権益を持っている国民が、新たに異邦人が入って来て定住するのを歓迎しないことも分かります。国家の富は長い間その地に暮らした民が営々と築いてきたもので、それによってその国の福祉や賃金のレベルが決まってきます。ですから、不法に流入した者や難民が途中から入ってきてその富を享受するのは本来なら歓迎しませんね。自分に来るべきものが減ってしまうと考えるからです。これが本音。
 でも、本音だけを声高に言い、押し通せばいいのか。そういう世の中ではあまりにもせちがらいし、寂しい。やはり人間、相反の部分があって、どこかに弱き者、貧しき者に寄り添い、富を分かち合いたいという思いもあります。できればその部分を強調し、本音を持ちながらも表には出さないというのがあるべき姿でしょう。そういう視点で見ると、トランプ氏のやり方、発言は賛成できませんね。
 オバマ前大統領は、2009年の就任後すぐにプラハでの演説で、「核兵器なき世界」を目指す考えを打ち出しました。任期が終わってみれば、核廃絶などまったくなく、理想に走り過ぎの実現性が乏しい発言ではなかったかとの文句も出てきそうです。ですが、本来政治家は理想を持つべきで、オバマ氏が最初に崇高な理想を掲げたことは実に立派でした。

 上の写真は、冬枯れの中に立つ日比谷公会堂。小生の会社はかつてこの道路側のビル「市政会館」の中にあったので、日比谷公園は懐かしい場所です。