つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

サウジの記者殺害事件はやはりうやむやに

 サウジアラビアの反体制ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏がトルコ・イスタンブールの自国総領事館内で”行方不明”になった事件は、トルコ側情報機関の調べで、ほぼ館内で殺害され、遺体をバラバラにされ、ひそかに処分されたことが明白になってきました。本来、自国民を保護すべき在外公館が自国民を殺害するなど想像だにできないそら恐ろしいことですが、それが現実になってしまいました。
 サウジ政府は、「組織的な犯行であった」と館内での殺害を認めた上で、本国のムハンマド・サルマン皇太子にまで責任が及ばないような対応を取っています。でも、この主張はやはり無理があるでしょう。この国が王族独裁の国であり、特にサルマン国王の実子であるムハンマド皇太子が隅々まで監視の目を行き届かせている最高権力者であることは世界のだれもが知っていること。為政者の命令なしに総領事館の犯行などなしえないでしょう。
 しかも、カショギ氏が殺害された時に、皇太子のボディーガードらしき男が総領事館にいたことも判明しています。であれが、ムハンマド皇太子が事実上この暗殺事件を計画し、側近に命令したことはほぼ間違いありません。トルコのエルドアン大統領も国会演説でこの事件の概要を説明、名指しこそしませんでしたが、皇太子が関与したことをほのめかしていました。トルコの情報機関恐るべしといったところです。
 ところで、トルコはなぜこれほど大々的にサウジの記者殺害事件を外にニュース発表しようとするのか。同じイスラム国であれば、”惻隠の情”があっても良いのではないかという声も聞こえてきます。そのエルドアンの意図について、西側マスメディアでは「サウジを痛めつける目的は米国を困らせることにある」と分析しています。要は、米は自由と人権尊重を標榜しながら、独裁色の強いサウジとの軍事関係を重視しているので、その矛盾を対外的に宣伝し、両国の仲を裂く狙いがあるというのです。
 確かに、記者殺害がサウジの国家関与の犯罪だということが判明し、トランプ大統領は困っています。最初は「こんなことに国が関与しているわけはない」などと高を括る反応でしたが、トルコ側の小出しの情報公開で徐々に国家の犯罪だと認めざるを得なくなりました。ただ、「下部機関が独自にやったことで、皇太子は関与していない」と言い始めています。
 自由と人権の尊重か、それとも中東の重要同盟国の保護か、トランプにとってその選択判断は重要です。というのは、11月には中間選挙がありますから。いかに唯我独尊のトランプであっても、米国の国是である自由と人権は無視できないはずです。それで、米側の最終的な落としどころはやはり「凶悪犯罪があったが、それは一部の跳ね上がり者の犯罪。国王、皇太子は関与していない」というサウジ側の主張に沿う形になるのでしょう。
 米側の対応のように、ムハンマド皇太子の不関与ということで、この事件の決着が図られる可能性が大です。批判メディアのないサウジ国内はそれで収まるし、独裁者が無茶苦茶なことをし通しても最終的にとがめられることがないのがこのアナーキーな国際社会です。サウジを痛めつければ、為政者は原油の減産を行い、世界経済に影響を与えると脅してますから、われわれもただただ、サウジの石油欲しさに事件をうやむやにするしかないのかも知れません。

 上の写真は、トルコの土産物屋で見掛けたトルコ美人。