つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

早く白鵬を乗り越える力士が出てほしい

 大相撲のテレビ観戦は毎度楽しみにしています。稀勢の里が去った今、日本人の若手が両横綱らのモンゴル勢を凌駕して活躍してほしいと願っていましたが、結局、24日に終わった春場所白鵬の42回目の優勝、しかも全勝優勝という”期待外れ”の結果となりました。なるほど白鵬は相撲がうまいし、強い。だけど、彼も34歳、もう乗り越える人が出てもいいんじゃないかとしみじみ思います。

 期待を集めていた貴景勝は今場所、あの背丈でよく頑張っていました。でも、個人的な趣味で言わせていただくと、小生、突き押し相撲ってあまり好きじゃないんです。相撲の原点は押しにあると言いますが、突き、押し、はたきの決まり手は感心しない。あまりにもあっけなく終わってしまうから。やはり組み合ってから体勢を有利に持っていき、投げや寄り切りで勝負を決めるパターンが好きです。

 貴景勝は千秋楽に10勝を上げてどうにか大関昇進ラインに達しましたが、終盤で優勝に絡めなかったし、14日目の平幕の逸ノ城戦では足が出ず、前にばったり落ちるなどちょっとお粗末はところを見せました。押し相撲の限界と恐さを感じさせ、将来へ一抹の不安を残す一番でした。でも、大関になった以上、頑張って、彼自身が広言しているように、もう一段の高みを目指してほしいと思います。

 それはともかく、今場所もまげに手が入って反則じゃないかという物言いが何番かありました。相撲の中で手が相手の頭に付くことは避けられない(はたき込みの場合は特にそう)し、大イチョウを結っている以上、望まずとも指が毛の中に入ってしまうことはあるでしょう。であれば、明らかに、手で髷をつかんだ時だけを反則にし、流れの中で指が大イチョウの中に入った程度でいちいち物言いなどやめてほしい。

 それから、立ち合いで手が土俵についていないからとして、力士が立ち会った後に行司が途中でやめさせるケースが数多く見られました。これも見る側からすると、興味を削ぐ行為。お互いが納得して立ち会い、明らかに双方不利な体勢でない限り、取り組みを続行させるべきです。立ち合いの成立不成立を決めるのは行司権限ですが、それ故に行司のレーゾンデトルを主張するかのように、中途でやめさせる行司が多すぎます。

 さらに言えば、もう一度公傷制度を復活させてもいいのではないか。序二段の照ノ富士本場所風景をスマホの相撲チャンネルで見ていましたが、大人が子供と相撲を取らされているようで可哀そうになりました。大関まで務め、幕内優勝まで経験した彼は明らかに十両以上の力を保持しています。ですから、本場所でけがをした場合、2場所くらい番付が下がるのは仕方ないとしても、そのあとはその地位にとどめ置くべきです。そうじゃないと、関取まで復活するのに長い期間が必要となってしまい、本人は辛いだろうし、ファンもがっかりです。

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 上の写真は、上野公園の入り口付近にある早咲きのしだれ桜。先週末、大勢の外国人が群がっていました。