つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

総合週刊誌は2025年に消滅してしまうのか

 このGWの大型連休、本来は友人と四国、九州へ気儘な自動車旅行をしようと思っていましたが、思わむ用事が入ってしまい、叶わなくなりました。松山か大分辺りに飛行機で飛んで途中参加も考えたのですが、急きょ乗り込む飛行機代はばかにならないし、予約も取りにくい。ということで旅行全体を取りやめにしました。一緒に行こうと約束していた友人には悪いことをしてしまいました。

 ただ、大型連休といっても、小生はもともと週2日の大学通勤以外は別段、外に出る用事はない身。つまり残り週5日は休みも同然。ですから、わざわざ世間が休みで、どこに行っても人込みになるこの大型連休に旅行することもなかったのですが、友人の都合に合わせて計画していました。旅行のキャンセルで、用事のあった1日以外はすべてフリーになってしまったので、ほぼ毎日、友人を誘ったり、誘われたりで、ドリンク&カラオケで過ごしていました。中身のない割には金の出ていく毎日でした。

 それはともかく、連休前に小生も幹事団の一人である勉強会「創る会」で、毎日新聞編集委員で元サンデー毎日編集長の山田道子さんに「週刊誌の動向」をテーマに講演していただきました。元マスメディアにいた人間としてとても興味深いテーマであり、事実、面白く聞かせてもらえました。一言で言えば、週刊誌は今、読者離れが進んでいて危機的状況にあるとのこと。確かに、電車の中で新聞と同じように週刊誌を読んでいる人がすっかり減ってしまいました。

 総合週刊誌の売り上げがピークになったのは1997年だそうで、その後は漸減している。若者が読まなくなったから。その原因は、やはりインターネットやスマホの影響だとのこと。スマホは特に、多額の通信費が取られますから、全体支出のゼロサムを考えれば、新聞代や週刊誌の購入代にまでは行かないのでしょう。団塊世代の全体が後期高齢者になる2025年には週刊誌は消えるのではないかとの悲観的見方が業界にはあるそうです。

 山田さんに聞いてびっくりしたのですが、今、駅のキヨスクに週刊誌は置いてないそうです。極々読まれる一部のものを除いて。確かに、昔、キヨスクで最新号がずらっと平積みされていて、前垂れの広告に記事の中身などが紹介される風景がありましたが、最近見られなくなりました。ちなみに、ネット上にD-マガジンというアプリがあります。小生も加入していますが、これだと月額500円を払えば、雑誌、週刊誌200冊の最新号が見られるのです。つまり、もう週刊誌、新聞イコール紙の時代は終わったのかも知れません。

 週刊誌で扱う記事ですが、かつてにぎわせていたのは「金、女、事件」。特に有名人が絡むと関心が一気に高まるとのこと。ただ、面白ければいいという出版社系の週刊誌と違って、新聞社系週刊誌は、”品位”ある本紙への影響を考えて、どうしてもえげつない書き方はできない。山田さんは「手かせ足かせをはめられ辛かった」と嘆いていました。ただ、最近、有名人の金、女絡みの”特ダネ”では、名誉棄損の損害賠償訴訟を起こされ、そのほとんどが出版側の敗訴になっているため、出版社系も今、大胆に踏み込んで書けなくなった。この結果、記事自体に面白さを欠き、読者離れの一因になっているとのことです。

 では、金、女、事件以外で読者は何に関心を持つのか。山田さんによれば、皇室もの(王女婚約者スキャンダルも含めて)、健康もの(食べてはいけない食品、かかってはいけない病院話なども含めて)、終末活動もの(年金、老後の資産運用、相続話など)、あとは危険防止策(特殊詐欺除け、震災対策を含めて)だとのこと。と、並べられたテーマを見ると、やはり老人が関心を持つものがほとんど。週刊誌は老人向けのメディアであることは間違いなく、であれば、団塊世代の後期高齢化とともに衰退するという見方はむべなるかなと思います。

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上の写真は、市川の大学への通勤途中に咲いている美しい雑草。このブログの読者のどなたかが「これは(麻薬の原料の)けしだ」と言うのですが、本当でしょうか。