つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

やはり、無観客の大相撲はつまらない

 世の中、人生の中には、「上り坂、下り坂のほかに、”まさか”というさかもあるよ」という言葉がよく言われます。新型コロナウイルスの蔓延によって、今春のセンバツ野球大会が中止になったのは、これを目指していた高校球児ばかりでなく、高校野球で春の到来を感じようとしていた多くのファンにとって”まさか”であり、がっかりさせました。大好きな大相撲も無観客で今一つ盛り上がりに欠けるし、間もなく桜も咲くという本来なら浮き立つ季節なのに、実につまらない、意気消沈のムードに満ちています。

 それにしても、これまで戦争以外で中止になったことがないというセンバツの中止は驚きました。まあ、小生が一浪して大学受験をした時には、学園紛争で東大、東京教育大(現筑波大)の入学試験がなくなり、国立大学の門が大変狭まったというのも、小生には”まさか”の事態だったし、アフガニスタンへのソ連侵攻が原因で日本も米国に同調して、1980年のモスクワ五輪をボイコットしたのも、当時のアスリートにとっては”まさか”であったでしょう。

 センバツの中止は大変残念ですが、まだ夏の大会がある。むしろ、21世紀枠などといういかがわしい別枠の選抜方法がなく、正々堂々県予選から勝ち上がる夏の大会の方がよほどすっきりした大会であり、球児が本当の実力を示せる機会だと思います。志望校を絞る大学受験なら1年待たなくてはならないし、オリンピック出場を目指すなら、さらに4年の辛抱が必要です。それに比べたら、今年の球児はあと4か月も待てば済む話ですから、それほどのことでもないのでは。ただ、春夏連覇などという機会は持てませんね。

 欧州旅行から帰ってからずっと、大相撲中継にかじりついています。無観客について、NHKアナウンサーは「土俵上の音が生々しく聞こえていい。新鮮だ」とか「場内に観客はいないが、テレビ桟敷には数千万人がいる」などと敢えて前向きな話をし、さらにテレビ桟敷にいる視聴者の反響を紹介しています。確かにテレビの向こうには多くのファンがいるというのはその通りなんですが、やはり、客がいないのはさみしい。主客一体は演劇、音楽活動に限らず、スポーツのゲームでも絶対必要です。

 土俵入りで力士名が呼び上げられる時に拍手の大きさで人気度が分かるが、それがない。この一番という時の場内の熱気の盛り上がりと掛け声がない。番狂わせで横綱が負けても座布団は飛ばない。第一、観客がいなく、だれも見ていないのに、懸賞金の垂れ幕が土俵を回っているのは実に滑稽です。NHKのテレビカメラはいつもは企業名、商品名を写さないよう、懸賞金掲示の時は遠写しにするが、この本場所に限っては、さすがにこれはまずかろうということか、若干垂れ幕が見える状態のカメラ目線になっているのは、ある意味新鮮です。

 このブログでもさんざん書いていますが、小生は目に見えないものを必要以上に恐れるのは反対です。お化け、幽霊を恐れて墓地に行かないのに似ているとまでは言いませんが、感染し、罹患したからといって確実に死ぬわけでないのですから、もっと悠長に構えてもいいのでは。入場者にマスク装着、アルコール消毒を義務付ければ、済む話ではないのかと思いますが、、。スポーツでもっと春到来を喜び、楽しみましょう。

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 上の写真は、かつてのベルリンの壁の上に描かれた有名なブレジネフ・ソ連書記長とホーネッカー東独書記長のキスの絵。独裁政権、こういう習慣ともに、大いに気持ち悪い。しかも、こんな”濃厚接触”の絵はウイルス流行時にふさわしくない。