つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

白鵬はますます”汚い手口”の相撲になった

 お上の自粛要請に逆らって、小生、昨日も飲み仲間と渋谷の居酒屋に行き、体内のアルコール消毒に努めました。そこで、仲間の一人から「どうも、渋谷に人が戻っているようだ」との感想を聞いたのです。小生は、従来の渋谷スクランブル交差点の混み様を知っているので、それほどでもないなと感じましたが、毎日変化を見ている人は、最近徐々に人が多くなっているのを実感しているのでしょう。

 コロナウイルスにより、世間の人たちに外出自粛ムードが出てきたのが1月末から2月くらにかけてだったかな。あれからすでに1カ月以上も経つと、さすがに世間の人も”自粛疲れ”が出てきている様子。小中学校の休校措置も19日で終わりだし、明日から3連休ということであれば、休日前夜はパーッと暴れたい気持ちになり、盛り場に繰り出したくもなったのでしょう。言われてみれば、なるほど渋谷の居酒屋街も、いつも行く店も一時に比べると、若者を中心に人が多いように感じました。

 渋谷の賑わいはともかく、大相撲春場所は終盤に入って白鵬が2敗となり、無観客の中でもちょっと面白い展開になりました。白鵬は今年の震災記念日(3・11)に誕生日を迎えて35歳に。やはり年齢には勝てないようで、かつての力はなくなっています。その分、”汚い手口”で勝とうという態度が見られます。つまり、横綱相撲の品格がない。彼は日本国籍を取りましたが、一定分野のトップに立つ者の心構えとして、謙虚さ、奥ゆかしさの日本精神には達していないようです。 

 本来、サポーターというのは負傷部分をカバーするために着けるものですが、彼はその右手肘に着けたサポーターで相手の顔面をかち上げにいっています。サポーターを”凶器”として利用しているのです。あれはかち上げというより、プロレスで言うところのエルボーアタックです。ひょっとしたら、あのサポーターの中には鉄線でも入っているのではないのかと疑う人もいます。だとしたら、プロレスで言えば、凶器攻撃、反則攻撃となります。

 12日目の相撲では、相手の正代に張り手を連発しました。張り手は禁じ手ではないのですが、感心しません。所詮非力な下位力士が苦し紛れに繰り出す”苦肉の策”であって、天下の横綱が使う技ではないからです。張り手は、手を真横から出すため、その分脇が空いてしまう。手を振り上げた瞬間、相手はさっとマワシを取って自分の有利な組手になることができるのです。昨日も白鵬の張り手をかいくぐって正代はもろ差しになり、寄り切りました。

 相撲の基本はあくまで脇を締めたはず押し、押っつけ。脇を空ける張り手を繰り出すのであるならば、その打撃一発で相手を失神させるくらいの威力がなければならない。もともと非常に効率の悪い技なのです。歴代の横綱を見て、張り手を武器にしたのは朝青龍以外いません。白鵬朝青龍もモンゴル育ち。かつてジンギスハン、フビライハンらで世界を席巻した気性の荒い騎馬民族の末裔だからなのか、2人には荒々しさの共通性があります。

 日本的美学で言えば、綱を締めるというのは神社と同じ。つまり、神に近づいた存在なのですから、横綱はもっとたおやかに、優雅に構えた受け身の相撲を取ってほしいと思います。そして、それでは勝てない、力を失ったと自身が感じたら、粛々と引退してほしいと思います。

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 上の写真は、ウィーンの美術館で見たクリムトの「抱擁」とピーテル・ブリューゲルの「農民の結婚宴会」。