つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「密」こそ人間社会の本質なのかも

 よくよく考えてみれば、COVID-19という新型コロナウイルスは、人間にとってなんと残酷な病原体だとしみじみ思います。それは、身体を侵し、死に至らしめるというだけでなく、人間が本来、基本的に持つ感情の発露、親しみを感じた時や感動を味わった時に、仲間同士がその感情を共有するため、あるいは同情するために互いの手をタッチする、手を取り合う、ハグすること。そうした行為を「三密」などと言って金輪際してはいけないことにしてしまったからです。

 ソーシャルディスタンスなる言葉、なんと味気ない言葉か。人間同士ある程度の距離をあると、絶対親しみも感情の高まりも生まれません。昔、ドイツのナチス党が大衆集会を開いた時、SS隊つまりヒットラーの親衛隊が集会の外側に立ってじわじわ前進、その集会の塊を狭めていきました。すると、集会参加者は隣との密着度を増し、場合によっては肌に触れ、隣の歓声を聴くことになります。となると、人間は興奮してきて感情が高ぶり、勢いその演説者の発言に酔いしれてしまうのです。

 ヒットラーは名演説家と言われましたが、親衛隊の密集作りの行動が多分に作用したものと思われます。そういう効果をいったいだれが発明したのか。宣伝相のゲッペルスか、親衛隊長のハインリヒ・ヒムラーか、それとも親衛隊の前身突撃隊のエルンスト・レームか。いや、意外にもヒットラー自身かも知れません。彼はミュンヘンで活躍していた若かりしころから、聴衆を引き付けるすべを持っていたと言わていますから。

 ヒットラーはともかく、新宿歌舞伎町で「密」を商売にしている業界は、本当にコロナが腹立たしいし、恨めしいでしょう。「夜の街」でクラスターが発生したというホストクラブの顧客はもちろん女性客。しかも、この時期、いわゆる素人の金持ち婦人は感染を恐れて寄り付かなくなっていると思うので、潜在的な顧客は、いわゆる風俗関係に勤めるお姐さん方ではないでしょうか。このお姐さん方も不特定の男性を相手にしているわけですから、感染リスクは非常に高い。そこで、感染の連鎖が起こってしまったのです。

 でも、ホストクラブにしろ、風俗にしろ、「密」をやめろと言うのは酷な話。というのは、そのビジネスの”売り”はまた「密」にあるからです。酒だけ飲むなら、居酒屋で十分。なぜ、そういうところに行くかと言えば、異性と接近したい、肌を接したいという思いがあるからでしょう。であれば、マスクやフェースガードをして顔が良く分からないホスト、ホステスがいるところなんて、面白くもなんともない。マスク越しの会話、手や肌に触れられない、唾の届かない距離の会話なんてつまらないことこの上なしです。

 野球中継を見ても、相撲中継を見ても、今は入場制限があるので、有観客試合と言いながらも、いまいち盛り上がりに欠けます。大相撲の場合、あの狭い升席に密状態で座り、酒を飲んで大声を出す、番狂わせに座布団を投げる風景の方がどれだけ観客を満足させるか。野球だって鳴り物があり、大勢一緒に風船を飛ばす方が観客は喜びます。やっと無観客から有観客試合になったのだから満足しろと言われても不満足さは拭えません。「密」こそ人間社会の本質なのだと思います。

 で、今の事態を哲学的に見るならば、新型コロナウイルスはある意味、人間同士の「密」を消すために登場した神からの使い、つまり人類に発した警告なのかも知れません。男女が安易に接近し、性的な関係を持つ風潮をいさめているのはもちろんのこと。地球規模で見ると、今、人類は80億人近く、もう地球のキャパシティーをはるかに超えているから、人口増はやめよ、経済の膨張は止めよという神からのインディケーションなのかも知れません。

 14世紀に欧州で蔓延した黒死病の時の時代背景はよく分かりませんが、少なくともスペイン風邪が流行った1910年代はちょうど第一次世界大戦の真っただ中で、参戦中の兵士の多くが死にました。ですから、膠着状態に陥った戦争を終結させるために神が使わした天災と言えるのかも。そうは言っても、「密」の良さを知ったわれわれが、今さら「密」のない社会でいいとは思いません。これも、人間の“サガ”なのかも知れませんが、、。

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 上の写真は、横浜福富町の韓国料理屋の前にあるデコレーション。