つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

女性ホームレス殺しの真の動機は何?

 11月も下旬になると、寒さが募ってきます。小生は寒いのは大嫌いなので、この時期、気が滅入りますが、まだ室内暖房をがんがんつければ済む話。もしホームレスであったら耐えられないなーといつも思います。というのは、自宅マンション前の横浜中央図書館の吹抜け階段は少し北風よけができるせいか、毎年、この時期になると数人のホームレスが横になって夜を過ごしています。夜遅く酒を飲んで帰ってくると、その脇を通ることがありますが、厳冬の季節などにはその”努力”に頭が下がる思いもあります。

 そのホームレスに関わる事件。64歳という高齢女性のホームレスが11月16日早朝、京王線幡ヶ谷駅近くの甲州街道沿いのバス停ベンチに座っていたところ、近くに住む男(46)に石の入ったビニール袋で殴打され、死亡するというニュースが飛び込んできました。子供がホームレスをいじめるケースはよくあるが、分別ある大人がなぜ暴力を振るうんだろう。しかも、繁華街でもないところに女性ホームレスがいることも含めて、この事件、記者の端くれとして興味が湧きました。

 まずこの事件で驚くのは、繁華街でもないのに、男が女性を殴打した模様や近くを歩く姿が、複数の防犯カメラによって克明に記録されていたこと。これじゃ、顔も分かってしまうし、近くに住む人間であれば、尚のこと逃れようがない。男は防犯カメラの存在など微塵も意に介さず犯行に及んだのだが、それだけ切羽詰まった思いがあったのか。それにしてもしみじみ感じるのは、今、防犯カメラは街の隅々まで網羅され、とても顔をさらして無茶できないことが改めて分かりました。

 ネット報道によれば、男はもともと引きこもり状態にあったが、数年前に父親が死去したことにより自宅の酒屋で手伝うようになったとか。最近はとても真面目に働いていたようです。その彼が、犯行に及んだ理由について、「いつも女性ホームレスがベンチにいて目障りだった」と供述しています。えー、なんでと思います。そんな理由だけで赤の他人を殴りつけるものですか。何かほかに動機があるんじゃないかと勘繰ってしまいます。と考えると、その動機を推測するだけで一つの小説が書けそうな感じもしてきます。

 供述内容を詳しく見ると、男は「女は毎度、ベンチに座ったり、寝ていたりしていたので、『どいてくれ』と言ったが、言うことを聞かない。それで腹が立った」というのです。でも、酒屋であれば配達用の自家用車を持っているだろうし、バスを使わなくとも京王線の電車もある。ベンチが占拠されていても、それほどの不都合は感じないはずだ。敢えて文句を言う必要があったのだろうか。どう考えても「余計ないちゃもん」としか思えない。

 さらに言えば、男は傷害致死容疑で捕まっています。でも、よくよく考えれば、犯行の前にビニール袋の中に石を詰め込んでいるのは不可解。それで殴れば、かなりの確率で死ぬことが想定されますから、殺意がなかったとは言えないでしょう。これは明らかに故意の殺人です。単にベンチを占拠しているホームレスに対し、そこまで殺意を催すのはどうして。余計ないちゃんもんや、そしてビニール袋に石を詰め込んだ裏には、彼のホームレス女性に対する”特別な”感情”があるように思えてならないのです。

 特別な感情がある故に、それを壊したくなるという動機は、三島由紀夫の小説「金閣寺」の題材にもなった坊さんによる金閣寺放火事件があります。特別な感情の対象が金閣寺と女性ホームレスとでは「美意識」という点では違い過ぎるし、同列に扱うのはいかがかと思いますが、人間があるものに固執して、それが思い通りにならないと破壊してしまおうという感情が生じるという点では共通性があるように思います。酒屋の男は、ホームレス憎しでなく、実は被害者を女性として意識し、それなのに無視されたことからの憎悪だったかも知れません。

 上の写真は、石巻にある釣石神社の風景。中腹の丸い石が落ちそうで落ちないので、大勢の受験生がお参りに来るそうです。下の方は、釜石の海鮮市場で見た青森県大間崎沖のまぐろ。