つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

IT婚活、「神が決めた」以上の説得力あるかも

 今日朝、テレビのワイドショーを見ていたら、最近、地方自治体が少子化対策の一環として、適齢期の人に結婚を促すために「IT婚活」なるシステムを導入したそうです。自治体が主体となって男女を結びつけるシステムは、特に過疎化が進むところなどで昔から盛んにやっていて、小生も1980年代、フィリピンなど外国人の女性を配偶者に迎えようとする東北地方や長野、新潟の町村を取材し、本(「むらとおれの国際結婚学ー情報企画出版刊行)にしたことがありました。そう目新しいことでもないのですが、さすがにIT結婚となると、なんだそれはといぶかしさが先に立ってしまいました。

 ワイドショーによれば、IT婚活とは、まず結婚希望の男女が市役所、町村役場に登録し、そこで120項目くらいの質問に答えるのが始まり。質問は必ずしも男女間のことだけでなく性格、感情表現など多岐にわたる。その回答によって、自身が無自覚、無意識な点まで含めてどういう性格の人間か、どのタイプの人間ならマッチングするかを客観的に把握する基礎データが作られます。自治体は、それに基づいて”適切な”相手を見つけ出すことになるようで、要は、ITの分析に基づいてフィーリングが合いそうな人間を探してくれるというシステムです。

 従来でも、見合い話があるときには、結婚に望む相手の年収は、学歴は、家族関係は、などという大まかな個人情報が事前に行き交いました。ですが、詳しい性格の記述などは見られません。それに対し、IT婚活は相互の性格の整合性、マッチングまで見通してしまおうというのですから、一歩進んでいます。従来の自治体、民間婚活会社を通しての見合いでも、何度かデートをすれば、相手の性格や行動様式は徐々に分かってくるものですが、それは個人の短期間の観察によるもので、往々にして錯覚、誤解もあります。その方が人間らしくて良いのかなと思いますが、厳密性を期す人間には不十分でしょう。

 ただ、ワイドショーでだれかが言っていましたが、いつもパソコンで字を書いていると、漢字の書き方を忘れてしまうように、必要以上にいつも機械に頼っていると人間が本来持っている直観力、瞬時の判断力、さらには生活能力、技術力も弱めてしまう心配があります。コメンテーターの橋下徹氏が言うように、一目ぼれ、好印象、恋愛なんてもともと無前提にあるのだから、特に若いときには直観力に頼って「出合いがしらの結婚」になってもいいのかも知れません。まあ、結婚は就職と同じようにやり直しができないわけではないのですから。

 小生も橋下氏の考えに近く、総論的にはIT結婚なるものには賛成できません。ただ、一つ言えることは、ITを補助的な道具として使えば、決断力に欠ける人間の後押しをすることにはなりましょう。人間だれでも(基本的に)一生付き合う相手を選ぶときには、何か運命的なものを感じたい、神が巡り合わせてくれたとの気持ちを持ちたいものです。その昔、統一教会という韓国発の宗教団体は、教祖様が信者の結婚相手を決め、集団で結婚式を挙げるようなことをしていました。これも、運命を神に委ねる、神の巡り合わせということになりましょう。

 でも、特定宗教を持たない人間にとって、神の巡り合わせを感じたなどと言ったところで、それは所詮自分がそう思っているだけで客観性がない。アバウト過ぎます。その点、ITの分析で「Aさんがあなたの最高の伴侶だと言っている」との結果が出れば、婚活者は客観性を信じ、大いにその気になります。ある意味、統一教会教祖様のお導きによる結婚相手以上にそのマッチング性を感じることができましょう。

 ただ、テレビを見ていてちょっと気になったのは、現実にIT婚活で結婚した夫婦が登場したのですが、いずれも顔を隠し、匿名で通していること。彼らはITを通した結婚で良かったと喜んでいましたが、それなら、最高のマッチングで結婚したと思うなら、むしろ堂々と胸を張り、顔を出して登場すべきです。何か当事者自体が、まだ機械に操られた結婚という後ろめたい意識を持っているかのようで、ちょっと腑に落ちませんでした。

 上の写真は箱根彫刻の森美術館の屋外展示物。下の方は、明治神宮参道わきにある「わけの分からない」前衛美術展示物。