つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

スーチー女史は軍内民政派を手なずけるべきだった

 今のミャンマーの事態を見ていて、ちょっと解せないところがあります。それは、国民の大多数が軍政に反対し、ゼネストも辞さない状態にあるにもかかわらず、どうして軍内から市民に同調する、味方する人が出てこないのかという点。小生はずっと疑問に思っていたのですが、一昨日、ある近代史を勉強する会合に出席したところ、ミャンマー通の参加者から面白い話を入手しました。全権を掌握したミン・アウン・フライン総司令官は、クーデター計画を1、2年前くらいから立てていて、徐々に市民に迎合しそうな幹部を軍中枢部から外してきていたと言うのです。

 クーデター計画というのは、やはり軍の一体化した反乱でないと成就しません。これは日本のかつての2・26事件を見ればよく分かること。一部の跳ね上がり分子だけでは、一部ではないにしてもクーデターを起こしてから、反対勢力が出てきたりすれば、やはり駄目、その正当性が問われます。

 フライン司令官ら軍幹部が徐々に軍内の民政支持派を排除してきたのを、国民民主同盟(NLD)党首のアウン・サン・スーチー女史はなぜ見抜けなかったのか。彼らの策謀、陰険な動きを知らなかったとしたら、スーチー女史は実におめでたい。自身が何十年も自宅監禁にあり、かつ民主化されてから10年権力機構の中にいながらも、権力基盤の何たるかがまったく分かっていないからだ。

 政権の維持には軍の支え、暴力装置が絶対的に必要なんです。隣のタイで民主主義国なのにクーデターがあり、軍政が敷かれたという教訓を隣国にいて身に着けることができなかったのか。民主主義が不成熟な国なのですから、スーチー女史は軍内の民政支持派を断固手なずけておくべきだったのです。大多数の軍内の勢力が時の指導者の方にあれば、なかなか政権は倒れない。これは、1989年の天安門事件時の中国でもそうでしたが、今ではその例はシリアやベネズエラでも見られます。この両国の指導者に特段能力があるようには思われませんが、軍はアサドやマドゥロに絶対的に服従しています。

 ミャンマーの場合、同じ暴力装置である警察も同様に市民に銃を向けています。警察はもともと市民に近い存在なので、軍政に反発し、市民に味方する人が出てきてもおかしくないと小生は思っていました。これについても、勉強会の事情通は明確に説明しています。同国の警察は軍と一体化しており、軍司令官がやはり警察内の人事を動かし、市民迎合派を排除してきたとのこと。市民に激しい暴力を振るった昨今の香港の警察に似ています。それにしても、自分たちを守るべき立場にある軍や警察が銃を向けてくることは、市民にとってとても悲しむべきことですね。

 では、今、ミャンマーに光明はないのか。同国の辺境地帯には、カチン、カレン、シャン、ラカイン州などの一定地域を支配する独立組織、独立軍が存在します。これらの独立軍はずっと中央の政府軍と戦ってきました。もし、市民が政府軍の軍政を倒したいと思うなら、これら独立軍と連携することも考えられます。現に、そういう動きがあるそうです。

 市民と辺境独立組織、軍と連携したらミャンマーはどうなるのか。たとい中央の軍政が倒れたにしても、独立軍の力が大きくなり、群雄割拠状態が一段と進みます。結果として民主主義の発展、統一ミャンマーの実現にはマイナスとなりましょう。市民派が地方独立軍と組むのも痛しかゆしです。

 上の写真は、横浜公園の池近くにある梅の花伊勢佐木町モールで見かけたパンダ。