つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

愛、正義が必ず勝つようには思えない

 昔、恐らく1990年代に、「愛は勝つ」という歌がはやっていました。「どんなに困難でくじけそうでも信じることを決して止めないで」という歌詞はなかなか魅力的で、多くの人がこの歌で勇気付けられたと思います。でも、現実世界を見ると、愛とか正義とは普遍的な価値観だと小生は思うけど、なかなか実現しないし、反対につぶされることの方が多いように思います。世界情勢を見ると、困難が永遠に続きそうな感じさせ与えます。そう思うとちょっと虚しくなります。

 例えばミャンマー。民衆が長い間かかって勝ち得た自由と民主主義が、ある日突然軍部のクーデターによって壊されてしまいました。軍服を着た人が再び国のトップになるなんて、少なくとも9割以上の国民が望んでいない。自由と民主主義が正義と思う人がマジョリティー。でも、再転換の芽は見えない。逆に、ASEANの中で独裁色の強いカンボジアのフン・セン首相がわざわざミャンマーを訪れ、軍事政権の機嫌を取っています。ASEANはもともと政治体制にこだわらない、他国の内政に干渉しないという方針なので、徐々にASEAN諸国全体がミャンマーの現政権を承認する方向にあるように思えてなりません。

 カザフスタンの暴動については、一部政治家の教唆のような話もありますが、小生はあくまで経済的な不満を背景に民衆が立ち上がったものだと信じています。ナザルバエフ前大統領、その子分のトカエフ大統領による長期政権は1990年代初め、ソ連が崩壊した後ずっと続いている。長期になれば腐敗が生じるのは、英国の歴史家ジョン・アクトンの言葉を待つまでもなく普遍の原理。それに対し民衆が不満を持って立ち上がるのは、2010年代のアラブの春の民衆運動を見るまでもなく、往々に起こり得ることです。

 そうした国民の蜂起に対して、トカエフは「暴動鎮圧のため」と称して、旧ソ連圏諸国でつくる集団安保条約機構(CSTO)に頼り、あろうことかロシアなどの外国軍隊の派遣を求めました。集団安保というのはもともと外国の侵略に対して共同で対抗するというのが根幹です。国民が不満で立ち上がった暴動は、本来その国の警察権力が対処し、抑えるべきもので、外国軍隊に頼るとは随分無茶な選択だったと思います。

 恐らく、隣国ロシアのプーチン大統領が自国への波及を恐れてカザフ指導部に早期鎮圧を指示、場合によっては軍隊を派遣しても良いとささやいたのでしょう。ソ連時代の延長にあるような完全な属国扱いです。民衆暴動を外国軍に鎮圧させるというそんな国民を裏切るような行動が平然と行われていることに、われわれは外から見てゾッとします。正義が履行されているようには決して思えません。ロシアが一枚噛んだ力による弾圧にカザフ国民はこのまま黙ってしまうのでしょうか。

 ロシアと言えば、今、10万人以上の軍隊をウクライナ国境に張り付けて同国に対し、「NATOに加盟するな」と圧力をかけています。これも「旧ソ連の国々はロシアの意向に逆らってはならない」という属国扱いの態度です。ロシアという国が素晴らしい国だと国民が感じ、誇りを持っているなら、隣国がNATO加盟国であろうと、どこであろうと必死に国土を守り抜こうとするでしょう。プーチンNATOを恐れるのは、自らの政権が国民に支持されていないと暗に認めていることに他なりません。

 ウクライナ政府もロシアに頼らないのはそれだけ不信感を持っているからです。これは、歴史上再三ロシアに侵略されたバルト3国、ポーランドフィンランドなどにも共通した認識です。今、NATO未加盟のフィンランドスウェーデンNATO入りを真剣に検討しているし、バルト3国もNATO軍の増派を求めています。アジアにおける中国もそうですが、覇権主義的な国には本当に悩まされます。自国国民の不満をそらすために海外にちょっかいを出す行動は止めてもらいたい、自国民が正義と思う政治姿勢を貫いてほしいとしみじみ思います。

 上の写真は、新潟上越市の竹田酒造店の銘酒「かたふね」。ある居酒屋で日本酒を頼んだら、この酒を勧められました。