つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

小説「散切り頭の新八独り旅」

第五章 津田三蔵の攘夷計画は固まった

 

 四月半ばの昼下がり、大阪堂島にある呉服商「柏屋」の奥座敷。四人の男がくつろいだ雰囲気ながら、幾分真剣な目をして茶を飲んでいた。

 春の日射しが座敷に連なる縁側にかかって、暖かい。

 桧の床柱の脇には、枝ぶりのいい松の周りに八重桜をあしらった生け花。紅梅白梅、水鳥が描かれた襖絵の上には、欄間には龍の透かし彫りが入っている。贅を尽くした造りだ。

 奥座敷に陣取ったのは、柏屋の主人善兵衛と金物卸問屋の「西門屋」の言右衛門、そして同じく堂島で古物商「摂州屋」を営む稲盛仁蔵、そして相場師の前田源之助の四人だ。

 稲垣仁蔵は先日の尾上小亀との酒席には、他用があって出なかったが、いつも堂島の米相場で前田差配の下、共同歩調を取る投資家一派の仲間だ。四人は今年後半の天候を予想し、米の売り買いの基本的な方向を決めようと集まっていた。

 真面目な話し合いの場なので、酒は出されていない。酒席はこの会合のあとの楽しみだ。

 仁蔵は甘党である。茶菓子の落雁をつまんでおいしそうに食べながら、ある天気予想屋から聞いてきた話として、寄り合いの口火を切った。

 「今夏は、好天に恵まれず、米の作況は悪くなるという情報が多い。恐らく例年以上に不作になるのではないか。だから、帳合米商いでは大量買いをしておくべきだろう」

 帳合米商いとは江戸時代中期からずっと続く米の先物取引のことである。かつて大名たちは、早く金が欲しいので、年貢米を切手化し、収穫がある前に商人たちに落札させた。切手とは一種の期限を決めた手形である。

 のちに、この米切手自体が取引されるようにもなった。だから、不作の年に事前に米切手を多く持っていたら儲けとなるし、豊作であれば、逆に損になる。

 「実はな、仁蔵さん。われわれはまったく正反対の話を聞いている。尾上亀之丞一座の小亀は、近ごろ上方で有名やから、お前さんも知っておるやろ。先日、その小亀と酒席を持った時にな、信頼できるあるお天気屋さんからの情報だとして、ちらっとこんなことを漏らしたんや。『世間では今夏の気候は荒れ模様と言う人もいるが、違う、その反対よ』と言うのや」

 「彼女が仕掛けた話ではない。われわれが話しているところに小亀がたまたま割り込んできて、そう言うんや。彼女にもいろいろな付き合いがあろう。その中にお天気予想屋がいてもおかしくないからな。『ちょっとお金儲けしたい』と言った小亀に対し、彼女の熱烈な贔屓筋であるその予想屋は、米相場の話をして、そのあとに『耳よりの情報教えてあげる。長年、動植物を観察してきた儂の目に狂いはない』と言って、天候の見立てを示したそうや。何に目を付けとるか知らんけど、独特の注目点があるんやろな」

 善兵衛が言うと、言右衛門も続けた。

 天気予想屋は、農作物の相場のためだけにあるのではない。あるいは暑い、寒いが事前に分かれば、売れる着物、売れる食べ物も見通せる。大雪、長雨があれば、交通にも影響するので、多くの人が関心を持っており、それだけに多くの人がその予兆現象を知ろうとした。

 「小亀自らが相場に手を出しているわけでなし、何かの狙いをもって人騒がせの情報をわざわざわれわれに流すわけがない。これは、たまさか聞き知った有力情報かも知れんぞ」

 「彼女はその情報源や見極めた“ぶつ”を明らかにしたのか」

 仁蔵は武家の出身だけに、話しぶりが少し偉そうだ。

 「いや、口を割らない。そういう約束だと言うのや。大方の予想の中には、今年夏の天候は不安定と読む者もおるが、小亀の話では、そのお天気屋さんはずっと当ててきたそうや、信頼できるのではないか」

 善兵衛にはかなり信じ込んでいる様子だ。

 「お天気屋さんが注目するものって、どんなんが考えられますのや」

 言右衛門が茶をすすりながら話すと、善兵衛が口をへの字に曲げて腕を組んだ。

 「例えば、蛙の鳴き方がいつもと比べてちょっと違うし、声が低いとか。五月に咲くつつじ、さつきの色の付き具合、大きさが例年とちょっと違うとか…いろいろある。長年見ていれば、相関関係は分かる」

 善兵衛が例を挙げると、言右衛門も頷いた。

 「実は、動植物ばかりでなく、川の流れ、滝の落ち具合からも分かるそうな」

 前田が口を挟む。

 「なぜ、川の流れなのか」

 「川の流れが少なければ、山は保水していない。となれば、夏に干ばつの恐れがあろう。これなどは至極単純な見極めだ」

 三人の話を聞いていた仁蔵が割って入った。

 「なるほど。とすると、今年の天候予想は固まってきたな。小亀の知り合いが何に注目したのかは分からんが、いずれにしても今年の天候は安定。今年は大量買いに入らんということか」と核心に迫った。

 大阪の商業界は御一新後、ずっと薩摩出身で、大久保利通の盟友である五代友厚の影響下にあった。五代は堂島の米市場を改組して米商会所を創ったり、北浜の株式取引所を開設したりしたほか、当地でさまざまな事業に手を出し、大きな地歩を築いた。

 ただ、五代自身は明治十八年(一八八五年)に糖尿病を患い、四十九歳の若さで没している。明治十一年に大久保利通が暗殺されて以降、伊藤博文井上馨山県有朋らの長州閥が台頭、明治二十年代の中央政界は依然長州閥が薩摩の力を圧倒していた。大阪の商業界も五代の死後、長州閥の力が及んできている。

 このため、一部の大阪商人は、そういう空気の変化を汲み取り、長州閥系にすり寄った。

 前田源之助がこの一派の中心になれたのも長州出身でもあったからだ。善兵衛らは、前田自身が長州閥の政治家に通じた人間であるかどうかはともかく、長州の出身であることに重きを置いた。

 「それで、前田はん。あなた自身はどう見るんや。業界筋の見方では今夏の天候が悪うなるとの情報が多い中で、小亀が伝える説もある。短期的には大量買いは必要ないんやなかろうか」

 善兵衛が誘い水を入れると、前田は

 「そうですなー。儂も小亀の話が妙に気になります。大方が天候悪化と言っているのなら、却って逆張りした方がいいという考えもありますからな。買いは控えた方が良さそうな感じがします。でも、最終判断はまだ。もう少し様子を見て参りましょう。仕手戦を仕掛けてくる者の中には、意図的に人騒がせな情報を流す奴もおる。今夏の天候については儂もいささか調べてみたい」と答えた。

 「それにしても」と言って前田は、ぬるめの茶を一気に飲みほしたあと、話題を替えた。

 「世の中、驚くことは多いものですよ、皆さん。幕末に京都で人斬り集団として知られた会津藩お預りの新選組はご存知でしょう。…実は、その新選組で幹部だった永倉新八という御仁がまだ生存していて、近ごろ、京都を再訪しているんですよ。私もひょんなことから会いましてね」

 「ほう、彼はまだ生きておられたか。もう相当の歳でっしゃろなー」

 いささか年上の善兵衛が聞いた。

 商家出身の二人にとっては、今は壮年の歳だが、幕末は大坂の町の家塾や寺子屋で学んでいたころの話で、幕末の京の血なまぐさい争いには関わりがない。二人よりさらに若い稲垣は因幡藩の武家の出で、やはり藩内の私塾で学んでいた時期であり、幕末のことなど知る由もない。

 「そう五十(歳)はとうに過ぎていましょうな。でも矍鑠としていましたね。京都に来たのは、新選組時代に芸妓に産ませた娘を捜すためとのことです」

 「ほう。それはなかなか興味深い話ですな。それで娘は見つかったのかな」

 「いや、私の仲間の話ではまだらしい」

 「お仲間とは?」

 前田は、どんな機会に永倉新八と知り合ったかについては触れなかった。堂島の旦那方には、自分が尊王攘夷の活動をしていることは明らかにしたくないのだ。

 「いやね。京都の友人を通して知り合ったのですが…」

 「そんな偉いお方なら、ちょっとお会いして一献傾けたい気もしますな。新選組は幕末、大阪にも出張ってきていろいろ悪さをしてはります。相撲の関取衆と大立ち回りを演じたり、大阪奉行所の与力を闇討ちしたりと、さまざまな話を父親から聞いております。永倉氏からいろいろ生の話を直に聞けたら、おもろいと思いますわ」

 言右衛門は興味深げに前田に振った。

 「では、また彼に会うことがありましたら、一度大阪にもお越しください、株仲間が会いたがっていますと伝えておきます」

 この日の会合で、前田相場師一派は今夏の帳合米商いへの明確な対応を打ち出せなかったが、方向として「大量買い付けは止めよう」という流れになった。(続く)

 上の写真は、大阪くらしの今昔館の展示。商家の店頭を表している。